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日本バスケットボール協会会長・三屋裕子 元バレーボールのスター選手だった彼女が信じる“スポーツの力”とは

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テレビ東京スポーツ

そこに秘められたドラマをあなたはまだ知らない

かつてバレーボールのスター選手だった三屋裕子。 現在は日本バスケットボール協会会長。 それが今、三屋裕子の肩書きだ。なぜ元バレー選手がバスケットボール協会の会長になったのか。 【動画】日本バスケットボール協会会長「三屋裕子」コロナ禍での挑戦に密着! 筑波大学大学院を卒業後、Jリーグや日本バレー協会の理事、大手下着メーカーの社長も務めた三屋。その経験を買われた。 しかし当時、日本のバスケットボール界はリーグの分裂騒動など大揺れ。そのうえ、三屋の経歴は異質だった。三屋は時に自ら広告塔になり、他方では協会の組織改革を断行してバスケットボール界を変える。何でも果敢に試すチャレンジ精神の持ち主。それがいい方に働いたのだろう。 会長就任後の3年間で、Bリーグの観客動員は15パーセント増加。外国人監督を招いた男子代表は21年ぶりのワールドカップ自力出場を果たした。そしてついに東京オリンピック男女同時出場が決まった。

スポーツの力を感じた経験

だが今年、新型コロナウィルスによる不測の事態。 協会は何をすべきか。 会長の三屋は決断をくだす。 それが8月16日の無観客イベントだった。 日本代表の選手たちを呼んで特別試合を開催。それを動画配信するという試み。 題して「バスケで日本を元気に!」 そこには秘策も準備されていた。ともあれ三密は避けねばならず会議や調整は在宅勤務で慎重に進めていった。 三屋が信じたスポーツの力。そこには自らの経験が関わっていた。 1980年、モスクワオリンピック。 日本の女子バレーは金メダルの最有力候補だった。だが国際情勢の中で、日本は大会をボイコット。金メダルという夢は戦わずして消えた。三屋はその時のメンバーだった。 その翌年、ワールドカップに出た三屋は銀メダル獲得に貢献。勇気をもらい、勇気を与えた大会。スポーツの力を感じたのが、そのときだった。

無観客イベントを迎えるまで

無観客試合本番3日前。 無観客ではあるが、感染対策は徹底した。準備した消毒薬は膨大な量。うがい薬と除菌シートも大量発注した。 関係者は全員、2週間前から健康チェックを続け、現場に立つスタッフは二度に渡ってPCR検査を受けた。 だが夕方、恐れていたことが起きてしまった。 参加予定だった6人の選手が、感染の疑いがある人物と濃厚接触し、出場を取りやめ。予定していた試合ができなくなってしまった。    迎えた当日。 総勢100人を超すスタッフが現場を支える。今、本当にこのイベントが必要なのか。そもそも今、スポーツは必要なのか。答えを知る者などいない。 無事にやり終え、ファンを元気にして初めて、やった意味は生まれる。三屋の志は正しかったのか。まもなく、その答えが出る。

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