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アメリカ横断ウルトラクイズ優勝者が選ぶ苦戦した5問

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NEWS ポストセブン

「ニューヨークに行きたいか~!」。当時日テレのアナウンサーだった司会の福留功男の呼びかけに、会場から「オ~!」という熱い叫びが沸き上がる。『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系、1977~1992年、最高視聴率38.5%)は、“年1度のお祭り”のような番組だった。

「“タダでアメリカに行ける”参加者の熱気はすごかった」(70・自営業)

 番組の合い言葉は「知力、体力、時の運」。スタジオで頭脳派の参加者が競い合うそれまでのクイズ番組とは異なる作りが視聴者に衝撃を与えた。

 東京大学3年生の時に参加した番組第16回(1992年)で優勝したクイズ作家の田中健一氏は言う。

「浪人生の時から参加していたので、自分にとっては4回目の挑戦でした。予選は東京ドームで、2万6000人の参加者が100人になるまで○×クイズを続けたのですが、制限時間があるなかでの決断力が重要でした」

 予選が終わっても、波乱の展開は続く。

「1次予選の敗者復活戦で、羽田から飛行機に乗れるかどうかがジャンケンで決まるという、理不尽なところがたまらない。飛行機に乗れても機内のクイズで間違えて、グアムの地も踏めずに強制送還された人も(笑い)」(66・元教師)

 田中氏は、「アメリカ上陸後は砂漠を走ったり、マラソンをする場面もあり、長丁場の戦いで体力勝負だった」という。

「アメリカに行ってから負けると、罰ゲームを受けてから帰国させられるけど、闘牛をさせられたり、自分で舟を漕いで帰らされたりと、ハチャメチャ。それが真剣だから面白かったし、感動的でもあった」(65・自営業)

 テレビ解説者の木村隆志氏はこう言う。

「アメリカについてあまり知らない時代で、景色を見ているだけでワクワクしました。福留さんが、一般参加者の人間ドラマを引き出すのがうまかった。あだ名をつけたりイジったりするなかで、参加者の人間性が見えてきて、見ている側も『この人に勝ってほしい』と肩入れするようになる」

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