なぜ潰れた? 名車と振り返る「消滅した自動車メーカー」 32選 後編
マトラ:ランチョ(1977年)
マトラは、他のモデルから多くの部品を流用してランチョを作った。バンのVF2をベースに、1308GTから最高出力80psの1.4Lエンジン、1100TIからブレーキ、1307から4速マニュアル・トランスミッションを移植した。どこでも走れそうな見た目だが、コストとパッケージングの理由から四輪駆動は設定されなかった。 【写真】「ミニの先祖」はやっぱり魅力的だった!【モーリス・マイナーを写真で見る】 (17枚) クロスオーバーの先駆者ではあったが、登場するのがおそらく20年は早かった。奇妙な運命のいたずらで、ランチョの後継車となるはずだった初代ルノー・エスパスは、欧州初のピープル・キャリア(ミニバン)へと姿を変えた。
では、マトラはどうなったのか?
自動車分野でのマトラはルノーの委託製造業者となったが、この関係は2003年に終了し、他の資産の一部はピニンファリーナに買収された。マトラの防衛・航空宇宙部門は現在、エアバスの一部となっている。
マーキュリー:クーガー(1967年)
マーキュリーは、プラットフォームを共有するフォード・マスタングとフォード・サンダーバードの間を埋めるためにクーガーを発売した。クーガーは、パフォーマンスと高級感を併せ持つ人気モデルとなった。後のモデルでは、初代のスピリットを取り戻そうと試みたが、稚拙な取り組みと、怠惰と呼ぶにふさわしいパフォーマンスのために、ほとんど失敗した。 ■では、マーキュリーはどうなったのか? 金融危機後の合理化を経て、フォードは2010年にブランドの終了を発表し、2011年1月に最後の量産車となるグランドマーキーが出荷された。
モーリス:マイナー(1948年)
モーリスブランドのクルマに関しては、マイナーに勝るものはない。性能は当時の基準から見ても控えめだったが、ハンドリングは印象的で、第二次世界大戦後の英国における交通の発展を支えた。その後、バン、エステート(ステーションワゴン)、コンバーチブルなどの派生モデルが生まれ、パワフルなエンジンも追加された。1971年まで140万台が生産された。
では、モーリスはどうなったのか?
モーリスは1952年にライバルのオースチンと合併し、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)を設立した。他のさまざまな企業も合流し、1968年にブリティッシュ・レイランドが誕生した。最後のモーリス車、イタル(写真)は1984年に生産終了。オックスフォードにある旧モーリス工場の一部は現在、BMWミニを生産している。モーリスの名称自体は、中国の上海汽車が所有している。