なぜ潰れた? 名車と振り返る「消滅した自動車メーカー」 32選 後編
スチュードベーカー:アバンティ(1962年)
シボレー・コルベットに対抗して開発されたアヴァンティは、デザイナーのレイモンド・ローウィ氏が設計したグラスファイバー製ボディを、スチュードベーカー・ラークのシャシーに載せたものだ。スチュードベーカーは約5800台のアバンティを生産したが、スチュードベーカーの廃業後は2006年まで5人の実業家が代わる代わるアバンティを生産した。 ■では、スチュードベーカーはどうなったのか? デトロイトの大手企業との競争がますます困難になり、1963年にサウスベンドの主要工場の稼働を停止したが、カナダ工場での生産は1966年まで続けられた。その名は現在、自動車部品会社のフェデラル・モーグルが所有している。
サンビーム:タイガー(1964年)
1901年に設立されたサンビームは、1935年以降姿を消したが、1953年に復活してアルパインを投入した。1950年代の米国におけるオープントップ・スポーツカーブームに完璧にタイミングが合うものだった。 さらなる高出力化を模索していたサンビームは、キャロル・シェルビー氏の協力を得て、最高出力164psのフォード製4.3L V8エンジンを搭載したタイガーを開発。アルパインの2倍のパワーを持ちながら、車重はわずかに重くなっただけで、3年で7000台以上を販売する大ヒットとなった。 ■では、サンビームに何が起こったのか? すでにルーツ・グループの一員であったルーツは、クライスラーに吸収され、さらにプジョーに買収された。サンビームの名前は1981年に消滅した。
タトラ:613(1974年)
ポルシェの911と同様、タトラ613は、リアエンジンというすでに廃れた構造を維持していた。先代の603と共通の構成だが、スタイリングは白紙の状態で生まれた。チェコスロバキアに本拠を置くタトラは、イタリアのヴィニャーレの協力を得て、より時代にマッチした新しいデザイン・アイデンティティを作り上げたのだ。 タトラ613は、ソビエト時代の東欧から生まれた最も格調高いクルマの1つとして記憶されている。KGBやワルシャワ条約機構に属する組織のお気に入りだったため、夜中に自宅の前に停まっているのを見たくはなかっただろう。