なぜ潰れた? 名車と振り返る「消滅した自動車メーカー」 32選 後編
サターン:SL(1990年)
サターンは1990年に初の市販車としてSLを発表し、これまでとは異なるタイプの自動車会社として活動する計画を示した。このモデルは、グリルのないフロントエンドのおかげもあって、ゼネラルモーターズ(GM)のポートフォリオの中では他の車種とは似ても似つかぬものであった。構造も独特で、ブランド固有のプラットフォームで作られ、テネシー州スプリングヒルにある新しい組立工場で生産された。 SLでさらに奇妙だったのはプラスチック製ボディパネルで、スチール製部品よりも軽量で耐久性があり、安価であるという理由で選ばれた。日本の自動車メーカーに対抗するためのユニークなアプローチで、当初は成功を収め、1993年9月には累計50万台を達成した。
では、サターンはどうなったのか?
問題は文字通り2日目から始まったと言っていい。 GMのロジャー・スミス最高経営責任者(CEO)はサターンを支持したが、ブランドを正式に立ち上げた翌日に引退した。その後の経営陣はサターンへの関心をあまり示さず、他ブランドの兄弟車となるなど次第にアイデンティティを失っていった。2010年初頭、他のいくつかのGMブランドとともに閉鎖された。
シムカ:1000ラリー(1970年)
アバルトはシムカ1000に魔法をかけたが、ルノーやNSUに代わってリア偏重のドライビングのスリルを求めるエンスージアストの心を捉えたのは、3種類のラリーバージョンだった。1000は、比較的裕福な層をターゲットにした高性能セダンの理想的なベースだった。ラリーの最初の2つのバージョンも高性能であったが、最高出力103psのラリー3は、ホモロゲーション目的でリリースされた本格的な公道レーシングカーであった。3モデルとも、今日でもヒルクライムイベントなどで広く使用されている。 ■では、シムカはどうなったのか? シムカは1970年にクライスラーに買収され、1979年にはPSAプジョー・シトロエンに買収された。その後、タルボに置き換えられている。