なぜ潰れた? 名車と振り返る「消滅した自動車メーカー」 32選 後編
では、NSUに何が起こったのか?
Ro80で発生した莫大な保証請求によってNSUは経営難に陥り、フォルクスワーゲンが同社を買収した。フォルクスワーゲンはNSUの製品よりも工場に関心があり、1969年にNSUとアウトウニオンを合併させ、NSUが開発していたK70をしぶしぶ吸収した。これが同社初の水冷フロントエンジン車となった。 NSUは1977年に最期のRo80を出荷したが、同社の遺産は今も静かに息づいている。アウディ50(1974年)はプリンツに代わるモデルとしてNSUが開発したもので、初代フォルクスワーゲン・ポロもそこから生まれた。
パナール:24 BT/CT(1964年)
パナールと聞いて、ミリタリーファンならフランスの軍用車両を真っ先に思い浮かべるかもしれない。その昔、一般的な自動車愛好家は、6人乗りの大型セダンや超軽量スポーツカーのメーカーとしてパナールを認知していた。24シリーズは、この2つのアイデンティティを融合させる試みであった。ショートホイールベースとロングホイールベースが用意され、乗用車でありながらパナール独自のスポーティさを反映していた。 24 BTは24 CTよりも全長が長く、後部座席が広くなっている。どちらのモデルにも空冷フラットツインエンジンが搭載され、優れたエアロダイナミクス設計のおかげで高速走行も比較的得意だった。
では、パナールはどうなったのか?
パナールの自動車部門は1967年にシトロエンに売却され、自動車メーカーとしてのブランドは消滅した。最終的にはスウェーデンのトラックメーカー、ボルボ・グループの傘下に入り、軍用車メーカーとしてその名は生き続けている。
ポンティアック:ファイヤーバード(1967年)
ゼネラルモーターズ(GM)は、シボレーのコルベットと直接競合することを恐れて、ポンティアックに2シーター・スポーツカーの生産を許可しなかった。その代わりにポンティアックは、当時の新型カマロと同じプラットフォームをベースにしたスポーツカーの発売許可を得た。 「スクリーミング・チキン(叫ぶ鶏)」という愛称で呼ばれるファイヤーバードは、2002年に廃止されるまで4世代にわたってカマロとともに走り続けた。