なぜ潰れた? 名車と振り返る「消滅した自動車メーカー」 32選 後編
オールズモビル:4-4-2(1964年)
4-4-2は当初、オールズモビル・カトラスにおけるパフォーマンス志向のオプション・パッケージとして誕生し、1968年には本格的なモデルラインに昇格するほどの人気を博した。オールズモビルは米国のチューナー、ハーストと協業して、最高出力390psのエンジン、アップグレードされたブレーキ、専用サスペンションを備えた、さらに速いモデルも開発した。 数年間、4-4-2というナンバーはハイパフォーマンスの代名詞だったが、1972年のモデルチェンジで再びオプション・パッケージに格下げされた。 ■では、オールズモビルに何が起こったのか? オールズモビルの存在感は徐々に薄まり、他メーカーはおろか、親会社GMの他ブランドにも埋もれていくようになり、2004年に消滅した。
ナッシュ:メトロポリタン(1953年)
ナッシュは、欧州車のテイストを取り入れた小型米国車としてメトロポリタンを構想した。ピニンファリーナにデザインを依頼し、オースチンにA40のエンジンと余剰生産能力を求めた。すべてが衝撃的にうまくまとまり、米国で最も小さくスタイリッシュなクルマの1つが誕生した。 販売は1954年モデルイヤーから開始された。セカンドカーとして購入されることも多かったメトロポリタンは、1961年に生産が終了するまで、いくつかの進化を遂げた(ハドソンやランブラーなど、複数の名で販売された)。
では、ナッシュはどうなったのか。
1954年、ナッシュとハドソンは当時米国史上最大の企業合併によりアメリカン・モータース・コーポレーション(AMC)となり、国内第4位の自動車メーカーとなった。ナッシュの名前は1957年に使用されなくなり、AMCも1987年にクライスラーに買収された。
NSU:Ro80(1967年)
1967年のフランクフルト・モーターショーで発表されたNSU Ro80は、1960年代に発表された最も革新的な市販車の1つである。異例のプロポーション、高度なエアロダイナミクス・デザイン、ツインローターのヴァンケル(ワンケル)エンジンを備えた大型の高級モデルとして登場した。 多くの人が未来のファミリーカーとして称賛したが、ロータリーエンジンの初期トラブルにより評判を落とした。評判はなかなか回復せず、オイルショックがRo80の運命を決定づけた。NSUはロータリーエンジンの信頼性を高めるための対策を講じたが、燃費を抑えることはできなかった。Ro80は1977年、直接の後継車種がないまま引退した。