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急逝から一年、今も全日本プロレスに生きる青木篤志イズム

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あれから一年が経つ。 超満員札止めの後楽園ホールで、青木篤志さんのテーマ曲と共にリング上の大男たちが恥じらいも無く、大粒の涙を流したあの日から。 8月15日、後楽園ホールで『2020SUMMER ACTION SERIES2 開幕戦~青木篤志メモリアルAAforever~』が開催される。 この日は、現在DDTプロレスにレンタル移籍中の秋山準や、大日本プロレスの岡林裕二、DRAGON GATEのKagetoraなど、青木さんに所縁のある数々の選手が全日本プロレスのリングに集う。 2019年6月3日の夜、青木篤志さんはバイク事故でこの世を去った。 前月に世界ジュニアヘビー級王座の四度目の戴冠を果たしたばかりで、二週間後の6月18日にはチームメイトで盟友とも言える佐藤光留との初防衛戦が控えていた。 プロレス界の現役チャンピオンの突然すぎる死は、普段プロレスを報じない一般メディアでも大きく報じられ、ファンのみならず選手・関係者にも大きな衝撃を与えた。 青木さんは学生時代からアマチュアレスリングで活躍し、陸上自衛隊に入隊。 全国社会人オープンレスリング選手権69kg級優勝という実績を引き下げて、2005年5月にプロレスリング・ノアに入団。 同年12月にデビューし、同期を差し置いて早い時期から活躍を果たす。 2013年に全日本プロレスに移籍してからは数々のジュニアヘビー級のリーグ戦を制覇したほか世界ジュニアヘビーを四度、アジアタッグを三度戴冠。 第64代横綱・曙からギブアップを奪ったり、チャンピオンカーニバルや最強タッグにもエントリーされたりと、階級を超えた活躍を果たす。 青木さんほど強いこだわりを持った人は中々いない。 常に考え、最前線を走り続け、時には対戦相手を辛辣に批判するそのスタイル。 全ては全日本プロレスを盛り上げるため。 青木さんはリング内外問わず、その“青木イズム”を体現し続けた。 そんな青木さんのコスチュームに必ず刻まれていたのは“Evolution”の文字。 “Evolution”は青木さんが所属していたチーム名だ。 常に青木さんの隣に立っていたのはチームメイトの諏訪魔と佐藤光留だ。 同じ“Evolution”として長い時間を共に過ごした仲間たちはこう語る。 諏訪魔 「今も一緒に戦っている気がするんだよね。あいつの横に立って、俺の今の五冠の姿を見せたかったな。そしたらあいつも“ちくしょー!!”と思ってジュニアのベルト獲ったり、あいつも俺に見せつけたと思うんだよね。まだまだ進行中ですね、あいつとは」 現・五冠王である諏訪魔にとっても青木さんはライバルであった。 「なんかまだいるような気がするんですよね。物理的なものじゃないけど」 と話すのは、タッグパートナーであり、ライバルでもあった佐藤光留。 「会場で勝ったって、バッチリ仕事して互いに海と山に行く。これを楽しんでたんですよ。たまにラインで連絡してたって二人で飲みに行こうとかはなかった。それがよかった。俺たちは会場でしか会わないっていう。その分濃かったなって今でも思いますね」 しかし、そんな佐藤をしてもこう語る。 「一言でいうと怖かったですね。田村男児、青柳亮生のデビュー戦の日(2019年1月2日、後楽園ホール)、タッグパートナーとしてもリング上でカチ切れてる青木篤志が怖くて、タッチを求めるのも怖かったです。それって結局、ただ怒ってるんじゃなくて責任感があったんですよね。自分が今何をしなきゃいけないか、理想だけじゃなくそれを受け止めて変えていくことにとにかく厳しい人でしたから、本当怖かったですね。あの責任感の強さとこだわりは単純な話、代わりはいないですよね。なんかまだいるような気がするんですよね。物理的なものじゃないけど」 こだわりの青木イズム。 諏訪魔と佐藤光留は、今でも“Evolution”のチームメイトである青木さんと切磋琢磨している。 同じくジュニアヘビー級で直接肌を合わせた者たちにとっては、青木さんはどんな選手だったのか。 岩本煌史 「王者として自分自身に厳しくし、いつも全日本ジュニア全体を鼓舞してくれた。試合でもミスがなく正確で、相手によってしっかりと戦略を立てて戦っていた」 イザナギ 「鉄人。考える鉄人」 ブラックめんそーれ 「何があっても常に全日本プロレスを、全日本プロレスジュニアを一番に考える方でした」 全日本ジュニアの象徴でもあった青木さんに対し、階級の違うヘビー級選手たちはこう言う。 宮原健斗 「プロレスというジャンルにプライドを持って練習や試合に向き合っていた方です」 大森隆男 「Jr.ヘビー級だけどとてもバランスのとれた確たる実力を持ち合わせた素晴らしい選手だったと思います。亡くなってから改めて青木さんの存在感の大きさを感じます。若くしてレジェンドになった彼の偉大さを忘れる事なく、彼の果たせなかった分までプロレスリングに全うしていきます」 石川修司 「食事会やジムでよく一緒でした。己にもほかの人にも厳しい人でした。その厳しさが全日本を作っていたと思います」 ゼウス 「基本からその先の技術まで、オールマイティー。何でも出来るという印象だった」 ヨシタツ 「メジャーと呼ばれる団体で唯一の同い年で、これから仲良くなりたかった。アマチュアレスリングに裏打ちされた実力の持ち主で、本当は何でも出来るのに、職人的なレスラーを目指しているように映った。彼に見せて恥ずかしくない全日本を作っていかなければと思う」 『プロとはこうあるべき』のお手本の様な青木イズムは、当然の様に階級を超えて高く評価されていた。 青木さんは全日本プロレス道場で長年コーチも務めており、その理念は直接教えを受けた後輩たちにはどのように伝わっているのか? ジェイク・リー 「指導中も含めて、印象に残っているのは、“常に考えて、工夫しなさい”の言葉につきます。青木さんの教えがジェイク・リーの土台となっているので、その教えを忘れずこれからも精進するだけです」 野村直矢 「厳しかったですが、上手くいかなかったりすると細かく正確にアドバイスしていただきました」 青柳優馬 「指導は懇切丁寧で正確。失敗も隙も見せないコーチでした。印象に残っているのは“何事も常に考えなさい”という言葉」 岡田佑介 「とにかく抜かりなくキッチリと指導してくださる人でした。凄く厳しい事の方が多かったですが、自分が欠場したときに誰よりも優しい言葉で『焦らなくていいから』と言われたのが印象的です」 青柳亮生 「印象に残っているのは“技を一個一個丁寧にやりなさい”という言葉。今でも試合後、青木さんならどんなアドバイスをくれるだろうと考えたりしています」 大森北斗 「とても厳しくて、何度辞めようと思ったことか。でもデビュー後、他団体の選手と試合した時に自然と“あの辛い練習をしている俺が負けるわけがない”と思えたのは、やっぱり青木さんの厳しさがあったからですね」 田村男児 「怒られてばかりだったので、印象に残っている言葉も、練習中に下手くそと言われたことです。ただそのあとは丁寧に教えてくれます。青木さんを絶対に見返す。そういう気持ちでこれからもやっていきます」 時に厳しく、時に優しく…青木さんが生涯をかけて大切に磨き、培った“青木イズム”は、彼らによって確実に全日本プロレスのリングで受け継がれていくことだろう。 最後に、ジャイアント馬場さんの時代から移り変わる全日本プロレスのリングを常に選手として見守ってきたキャリア46年の渕正信はこう話す。 「基本にしっかりしているし、アマレスの基礎があるからな。体は小さいけれど、誰とやっても互角の試合に持っていける実力を持っていたよ。チャンピオンカーニバルでもいい成績を残したよな。そういう面では体の小ささを気にしないというか、自分に自信を持っていたんだろうな。だから精神力が強かったんじゃないかな。それが自分の技術というものを上回っていたと思うよ。 とにかくあの時に関しては驚いたっていうのが第一だよね。亡くなるその夜にメールをしたんだよね。共通の友人がいたもんだから、タイトルを取った祝勝会をやろうと。そして返事が来て、“よろしくお願いします”と。そしたらその翌日に新聞社から連絡が来て、不慮の事故で亡くなったと聞いて信じられなかったよ。もう祝勝会も一週間後にやろうなって決まっていたんだけれどな。だから亡くなるということは1パーセントも考えていなかった。一年以上経つけれど、まだまだ試合前の練習の時に現れそうな感じがするよな」 8月15日、きっと会場のどこかで青木さんは照れくさそうに笑いながら眺めていることだろう。 今でも青木イズムが息づく、そのリングを。 文:鈴木みたらし

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