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清水敬子|カニカマ人生論

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清水ミチコ 1歳から3歳になるまで、私には母がおりませんでした。 両親が離婚し、親権争いで父の方が一歩も譲らなかったため、私は父と祖母との三人暮らしをしていたのです。あとになって、「なんで離婚したの?」と聞いてみたところ、父は(まあ、あの、ごにょごにょ)と言葉をにごしたので、(浮気だな)と、すぐわかりました。昔から音楽が好きで、ジャズバンドのリーダーであり、話も面白かった父は、女性の噂も絶えなかったようなのです。  そして私が4歳になったころ、若くてきれいな女性とのデートに、幼い私も一緒に連れてってもらうことが増えてきました。父よりも十歳も年下である、鈴木敬子という女性と並ぶと、まるで美女と野獣のように思えるカップルでしたが、その後二人はまわりの反対を押し切って結婚します。 私はデート中から彼女のことを「ママ」と呼ぶようにしむけられていたらしく、彼女もまたそれを聞くと「はーい」、と返事をしてくれたので、うまいこと一役買わされてたようです。 結婚後、家の中でも私はママにうんと甘えました。とても可愛がってくれ、毎日に急に光がさした、と感じました。せっかちな父親と、身体もそんなに強くはなかった祖母に囲まれての暮らしは、それまではそれで当たり前だと感じてたはずなのですが、急に温かいふわふわしたものに包まれたような感じがしたのです。あんまり優しくしてくれるので、私は「ママは本当は、私のことが好きになっちゃったから、この家に来たの?」と、何度も聞いてたそうです。子供って無邪気ですよね。 そういえばある晩のこと、夜中に男の人が路上で、吠えるような大声で家に向かって叫んでたことがありました。「鈴木敬子を返せ~!」。あんまり何度も切ない声で叫ぶので、私はビックリしましたが、「ただの酔っぱらいや」などと、なだめられました。しかし、(あれは相当本気だったな)と、子供心にもわかったような気でいたものです。この男性からだけでなく、母の身内やまわりからも、この結婚に大反対されてたそうです。 私が小学校に行くようになっても、母はよく私の話を聞いてくれました。当時、母は日本旅行に勤務していたのですが、「明日は会社が休みだけど、何を作ろうか?」と料理のリクエストにも応えてくれ、餃子やプリン、オムライス、ピラフなど、なんでも作ってくれました。休日だった毎週水曜日が待ち遠しかったものです。また、料理の片手間に私が話す学校での話も、ただ聞くというだけではなく、同級生の名前など、名字と下の名前とおおまかな住所までセットでよく覚えており、「今日な、小田嶋くん(仮名)にこんなイジワルされたんや~!」と言うと、「〇〇町に住んでる小田嶋和也くん(仮名)か。でもあの子はホラ、去年のクリスマス会であんたに順番を譲ってくれたことがあったもんな。覚えとる?」など、当人が忘れてたようなことまで細かく覚えてて、(あ、そうだったか)と、怒りを忘れてしまうようなこともありました。日々、私のおかしい話には笑い、悲しかった時の話にはなぐさめてもらい、といつも私に同調してくれる母でしたが、いつだったか、こんな変なことがありました。 理由はよく思い出せないのですが、何か理不尽なことがクラスであったらしく、私がそれについて、ものすごく頭に来てたらしいのです。くやしさや怒りを、いつものように思いっきり「今日はああだった! こうだった! しかもだよ!」と、母にぶつけていたところ、なぜか母がいつまでもうつむいています。(あれ? 泣いちゃってるのかな。おかしいな。泣く方面の話じゃないんだけど)と、思ってよく見ると、ハンカチで目を押さえながら、かすかに震えているような。私は(何かあったのか?)と心配になり、話を止めて聞きました。「ね、どしたの?」。見ると母は確かに泣いてはいましたが、それはなんと、笑いをこらえきれない涙だったのです。「ごめんごめん!」とあやまりながら、(たまらん!)という顔でこう言いました。「実はあんたがカンカンに怒っとる時って、いっつも私、おかしくておかしくて、どうしても笑ってしまうんや。あ~、おかしい!」と、まだクスクス笑っていました。これまでも、どうやら私の「怒り話」にだけは隠れて笑ってたらしいのです。私の怒りはそこですっかり白けてしまい、感情も解散でした。(そうか、私がめっちゃ怒ると面白いのか)という妙な納得もありました。(←なんか理不尽だけど!) 大人になった今でも、怒りを大声に出すことはありません。どこかで誰かに心から笑われる気がして。まあそんなわけで、私は幼い時から、血のつながりはないけど優しく、また私を面白がってくれるこの母によって育てられました。他人から愛をもらったんだなあ、と思います。もちろん父や祖母からももらってたはずですが、子供にとって「愛」とは、細部までじっと見つめられることであり、最後まで話をしっかり聞いてもらうことであり、一緒に笑いあってくれることだと思うのです。私はどんなにこの母に感謝してもしきれないほどです。 私の人生はこのように、始まった時からすでに、寂しさと喜びがセットになってやってきてました。きっとこれからも。そして、いつも隣にいてくれた赤の他人によって支えられてきました。そんな他人たちとの思い出話も、これからたくさんしたいと思います(言い方)。 【シミチコMEMO】 写真右が母です。ウチは食品系の店だからと犬は飼えず、近所の犬をよく「借りて」ました。youtubeチャンネル「清水ミチコのシミチコチャンネル」も、随時更新中。ぜひご覧ください。 ■清水ミチコ 岐阜県高山市出身。1986年渋谷ジァンジァンにて初ライブ。1987年『笑っていいとも!』レギュラーとして全国区デビュー、同年12月発売『幸せの骨頂』でCDデビュー。以後、独特のモノマネと上質な音楽パロディで注目され、テレビ、ラジオ、映画、エッセイ、CD制作等、幅広い分野で活躍中。著書に『主婦と演芸』『「芸」と「能」』(共に幻冬舎)、『顔マネ辞典』(宝島社)、CDに『趣味の演芸』(ソニーミュージック)、DVDに『私という他人』(ソニーミュージック)などがある。

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