【吉田秀彦連載#7】94年の全日本選手権で「負けた」と思った小川直也先輩に判定勝ち
【波瀾万丈 吉田秀彦物語(7)】1992年バルセロナ五輪で金メダルを取った翌年(93年)には、世界選手権(カナダ・ハミルトン)に出場しました。ここで大きなアクシデントが待っていました。 【写真】吉田秀彦、歓喜の瞬間! 1回戦は絞め技で勝ったけど、腰をケガして立てなくなったんです。礼をして畳から下りると、まったく力が全く入らない。それで吉村(和郎)先生におぶってもらい、控室に戻って痛み止めの注射を打ってもらいました。先生からは「もうやめろ」と言われましたが、バルセロナ五輪で古賀(稔彦)先輩が大ケガをして勝っている。だから「やめるわけにいかねえな」と思って。自分では「できる」と思っていたし「勝てる」という自信もありました。 ただ、まったく力は入らないし、立てない。控室ではベッドに寝かされていて、寝返りも打てない。アップなんて、とてもできる状態じゃなくて…。だから、どんな試合をしたのか全く覚えていないんです。何とか決勝まで進んだものの、全己盈(チョン・ギヨン=韓国)に背負い投げで投げられて…2位。うまくはいかなかったですね。 今思えば、腰のケガは14キロという過度の減量で体のバランスが悪くなっていたんでしょうね。これ以上、体に負担をかけられないなと思い、階級を78キロ級から86キロ級に上げることにしたんです。 94年には体重無差別で柔道日本一を決める全日本選手権に出場しました。ひと言でいうと、めちゃ疲れた。当時は準決勝6分戦った後に決勝10分ですからね。それも準決勝が終わってすぐに試合が始まる。汗も引かず、体重の軽い自分には不利でしたよね。 準決勝の相手は明治大学の先輩でもある小川(直也)先輩(※)でした。それまでも何度も練習(乱取り)していたんですが、いつも練習をやると(組み手で)頭を下げられるんです。頭を上げておかないといけないんで、首が痛くなるんですよ。だから小川先輩と練習すると毎回、首が筋肉痛になる(笑い)。それくらい力が強かったし、体が強かった。 6分を戦い終えたとき「負けた」と思ったんです。技の数では「自分が上」だと思っていましたけど、支え釣り込み足で(体を)1回、浮かされていました。ポイントはなかったけれど、それでヒジをついた場面がありました。感触としては五分五分。でも浮かされた分「俺が負けてるかなあ」と。でも会場の大声援も味方してくれて、判定2―1で勝ちました。 小川先輩はめっちゃ強かったから、うれしかったですねえ。小川先輩に勝ったんだから、あの大会は優勝しなきゃいけなかったんです。でも…。 ※バルセロナ五輪95キロ超級銀メダル。柔道引退後はプロレスラーに転向し「暴走王」として活躍した。
吉田秀彦