「風呂と愛国」川端美季さんインタビュー 「日本人は入浴が好き」説から見える、衛生と統治の関係
日常会話でもよく耳にする「日本人は風呂が好き」という言葉。そうした考え方は実は近代以降に生まれたとして、その背景を解き明かした新刊が『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(NHK出版新書)です。公衆衛生史を専門とする学者・川端美季さんが、日本における風呂の歴史、西洋人の目に映った江戸の入浴習慣などを丹念に論じた上で、明治期以降の風呂を通して見えてくる、衛生と統治の結びつきを考察しています。「日本人は風呂が好き」という言説はなぜ生まれたのか、川端さんにじっくり話を聞きました。
江戸時代に銭湯が繁栄した理由
――日本で風呂はどのように始まったのでしょう。 日本には6世紀半ば頃、仏教とともに風呂という様式が伝わりました。各地の寺院に蒸し風呂の入浴施設が作られ、浴堂や浴室と呼ばれました。それはお寺の人だけが利用するのではなくて、参拝に来る人など広く一般に開放していました。 仏教的な功徳を積むことができるということで「施浴」と呼ばれていました。その「施浴」に対してお布施をもらっていたのが、だんだん営利目的の浴場へと繋がっていき、銭湯になりました。 ――特に繁栄したのはいつでしたか。 銭湯が歴史的に隆盛したのは、江戸時代になってからです。最初に徳川家康が江戸幕府を開きますが、当時は都の京都や大阪などの都市部からは遠く離れた地域に、新しい政治的基盤を置くということでした。そこで都市を作る上で、大規模な土木工事を行うため、多くの労働者が必要でした。そういう人たちに対して、湯屋と呼ばれる銭湯ができていきました。労働と風呂が関係しているということは、今回の本を書いて改めて気づいたところでした。 ――庶民にとって、身近な存在だったんですね。 そうだったと思いますね。現代では家の水道から水が出ますし、お湯もガスで温めてすぐに出ますよね。でも当時は風呂を沸かすというのは結構労力がいることでした。そもそも水を運んでくることも大変だったでしょう。だから特に都市部では一つひとつの家庭に風呂を設けるという発想にはなりませんでした。やはり集団でまとまって入れる大きい施設があるほうが、町としては合理的だったんだと思います。さらに火を扱う場所なので、火事の危険性もありました。それが湯屋という形で一箇所にまとまっていると、管理がしやすかったんだと思います。