Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

姉にとって「殴ってもいい」存在だった私。完全に縁が切れるまであと2年〈きょうだいと縁切り・1〉

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
婦人公論.jp

きょうだい間のトラブルは、根が深い。親が差をつけて接してきたために不仲となる例もあれば、大人になってから配偶者や相続が原因で揉める例もある。関係を断ち切った当事者に、決断までの苦悩と、いまの思いを聞いた。会社員のサオリさん(58歳・仮名)の場合、姉の存在が頭痛の種で…(取材・文=上田恵子) * * * * * * * ◆姉にとって「気に入らなければ殴ってもいい」存在 会社員のサオリさん(58歳・仮名)は、小さな頃から2歳上の姉に暴力を振るわれながら育った。 「私の家は両親と姉、私の4人家族。父は町工場を経営していて、母はその手伝いをしていました。とにかく母がキツい人で、家族に手をあげることはしょっちゅう。その腹いせの意味もあったのでしょう。物心ついた時、私は姉にとって『気に入らなければ殴ってもいい』存在になっていました。親は親で私を軽く見ていて、平日は家事をこなしてからでないと外出させてもらえなかったんです」とサオリさん。今なら虐待に当たる状況だが、当時はそれが普通だと思っていた。 「姉の暴力が止んだのは18歳の時。私も体が大きくなり、初めて姉のこぶしを防いだんです。以来、物理的な暴力は振るわれなくなりました」 しかし、サオリさんが19歳の時に父親が投機に失敗。家が差し押さえられ、両親は離婚することになった。 「しかも父が脳梗塞で倒れて入院。私は母の面倒をみながら都内の会社で働き、父の入院費を払う立場になったのです。姉ですか? ごくたまにお見舞いに来ては、父に調子のいいことを言って帰って行きました。父や病院のスタッフの間では、“優しい姉”と“しょっちゅう来て厳しいことを言う怖い妹”として扱われていたのですから腹が立ちますよね」

◆姉との絶縁の序章にすぎない 父親がいよいよ危なくなった際、サオリさんは姉に「お父さんに会いに来てあげて」と長い手紙を書いている。しかし姉の答えは「特に用事がないから行かない」。「さすがにその時は頭の血管が切れるかと思いました」とサオリさんは声を荒らげる。 「父はそれからしばらくして亡くなりました。その頃、私は収入が不安定だった姉に仕事先を紹介したのですが、彼女はいい加減な働きぶりだったうえ、私に無断で勤務先を退職。紹介先に多大な迷惑をかけてしまったのです。ほかにも私の留守中に家に来ては母親にお金をせびるなど、やりたい放題。我慢も限界でした。姉に会ったのは、父が亡くなった8年前が最後です」 昨年、サオリさんは母と住んでいた3LDKのマンションを売却し、一人で1Kの部屋に移った。認知症になり施設に入った母の介護費用と、自身の老後資金を捻出するためだ。オリンピック前ということで、マンションは高値で売れた。しかし、これは姉との絶縁の序章にすぎない。 「引っ越しにより、姉にはもう私の住まいがわからなくなった。もちろん母が姉と連絡を取ることはかまいませんが、私の住所は教えないように伝えています。実は最近、転籍の手続きも取ったんです。そして、あと2年で定年を迎えれば、姉が私の会社を通じて居場所を辿ることもできなくなる。あと2年で完全に縁が切れる……、と今はそればかり考えています」

上田恵子

【関連記事】