佐渡裕「1万人の第九」への思い 偉大な先輩の総監督回数超えへ
最初は断りました。逃げ回ってました。
この1万人の第九は、1983年に始まった世界最大規模の「第九」合唱を行なうコンサートで今年で33年目となる。第1回から16回までは、作曲家、指揮者の山本直純さんが指揮を執っており、佐渡さんは今回で山本さんの回数を超えることになる。 「山本さんから引き継ぐ時の心境は」という質問に「そりゃプレッシャーでしたよね」と即答する佐渡さん。そして「最初は断りました。逃げ回ってました。こんなんやりたくないってハッキリ言ってましたから」と当時を振り返る。 この話が来た時、2000人くらいのお客さんの中で演奏会をすることはあっても、1万人という人のことは想像つかなかった。そして、山本直純さんという大先輩がやってきた偉大な業績を30代の自分が引き継ぐという、かなりのプレッシャーを感じていたという。 だが、ひとつのきっかけが佐渡さんの思いを変えた。それは当時、パリに住んでいた佐渡さんのもとに、毎日放送のスタッフ2人が説得に訪れたことだ。「やりたくないって言ってたんですが、その2人がしつこくてねえ(笑)何日間かいて、僕のオーケストラの練習にも全部ついてきて、トイレに入る以外は全部ついてきてました」 やらないと言っても、説得にあたる2人。そこで、佐渡さんはひとつの提案をした。「僕は当時ヤング・ピープルズ・コンサート(子どもが演奏会に親しみやすいように企画されたもの)を思ってて。スタッフがそれを作らしてくれるというニンジンをぶら下げてきたんですよ。それをやらしてくれるんやったら、1回だけ指揮であがるわといって、最終的に嫌々引き受けたのがいちばん最初でした」と笑いながら当時を振り返った。
自分の意思がちゃんと通って練習をしたい
そして、引き継いでから最初に取り組んだのは、3000人ずつくらいで事前に練習をしたことだった。「この1万人の第九はものすごい大きな数、それですごく大雑把なスケジュールだったんで。ただ、1万人集まって大きな花火を打ち上げるみたいにイベントが終わっていくのは淋しいと思ったんですね」 たとえ1万人であったとしても、自分の意思がちゃんと通って練習をしたい。それがうまくいかなかったとしても、どこかで冒険をしながら、ベートーヴェンのすごさや第九の壮大さ、その思いをかけて本番を迎えたかったという。 初めての第九を終えた後「人間っておもしろいな」と思った。それはそれぞれ違う家庭で生まれ、違う親から生まれ、違う文化の中で育っていったものが地球上で一緒に住んでいる。そのことが心が通じ合う時、とっても大きな喜びに包まれるということを僕は音楽が教えてくれること、これが音楽の使命だと思っているという。 ただ「現実はそうじゃない」と続ける佐渡さん。現実は戦争があるし、もっと小さい範囲であれば街の中や、勤める会社の中、家庭内でも対立はある。「そうしたことが現実なんだけども、人は誰かと心が通じ合って手を握りあった時にうれしいと思える。そのことも神は与えてくれてるというのが僕は真理だと思うんですよね。僕は一万人の第九をやっててすごくそれを感じますよね」と話す。