ディナーは1回10億円? ワインクラブを作ったクレオパトラ
「ワインを飲む楽しみの半分は、ワインについて語ることである」(作家モーリス・ヒーリー)。紀元前41年、世界初のワインクラブを作ったのはあのクレオパトラでした。ワインスペシャリストの渡辺順子氏による日経ビジネス人文庫『「家飲み」で身につける語れるワイン』から抜粋します。 ●エジプトの経済を支えたワイン ワインは文明が発達していたエジプトへ伝わり、大きな産業として人々にとって欠かすことのできない存在に変化していきました。壁画にワインの圧搾機や貯蔵用の壺が描かれていることからも、エジプトの醸造技術は高く、ワインが人々の生活に浸透していたことがわかります。 ぶどうはアーチ型の棚仕立てで栽培し、収穫したぶどうは足で潰し、搾られた果汁を石の桶に入れます。そこで発酵させたワインを壺へ入れ熟成させました。それまでの大きな瓶にぶどうの房を入れていただけの手法から、現在とあまり変わらない製造過程へと飛躍的に進化しました。 ただし、発酵は化学的な反応で起こるのではなく、ぶどうが発酵するのもワインに酔わせる効果があるのも、全て「神のおぼしめし」だと考えられていました。ファラオの墓にはたくさんのワインの壺が置かれ、来世への「長い旅」のお供にワインが用意されていました。 ツタンカーメンの墓からは26個のワインの壺が発見され、驚くべきことにそれぞれの壺にヴィンテージや醸造者の名前まで記されていたようです。海外から輸入された白ワインも含まれていました。 当時のエジプトは「オシリス神の血」として赤ワインのみを造っていました。またぶどうの収穫期にナイル川が赤みを帯びることからも、赤ワインが好まれたと言われ、「長いエジプトの繁栄を支えた一つはワインである」と主張する学者もいます。先ほど述べたように、神の力によりぶどうがワインに変わり人々を酔わせる魔術が備えられたと信じられていました。 現にアモンラーの神殿の周りには513ものぶどう園があったと言われます。ファラオは神の恩恵にあずかるため王室御用達のワイナリーを持ち、ゾーザー王は地下室に大理石をくりぬいた自分専用のセラーを持っていました。間違いなく、世界初の「マイセラー」を持った人物です。温度と湿度が一定に保たれるため、現在でも理想的なワインの保管方法です。 古代エジプトでは、ぶどう園を管理することはとても重要な仕事でした。ワイン醸造は花形職業であり、園芸師、貿易商とともに当時の人気職業ランキングの上位を占めていたようです。 ワイン醸造に加え、エジプトの経済を支えたのがワイン貿易です。機能性と利便性に優れた「アンフォラ」がワイン貿易に大きく貢献しました。 アンフォラとは、松と蜜蠟(みつろう)でコーティングされた取っ手付きの首の長い先細りの壺を言います。ワインやオリーブオイルの運搬や保存に使用されました。 ファラオやツタンカーメンの墓に埋葬されていたのが、ワインが入ったアンフォラでした。 アンフォラの特徴はその形状にあります。 取っ手は持ち運びを容易にし、細長い首は酸素にさらされるワインの表面積を減らしました。空気に触れる面積を小さくすることでワインの質を保つことができます。先細の底は沈殿物や澱(おり)を集めやすく、さらに現在のボトルのように底がへこんでいました。先細の形状は長い海の旅の最中に中身が揺れるのを防ぐ効果もあります。また土に埋めやすく、船旅では砂で固めて固定しました。 アンフォラはワインの運搬、貿易にたいへん重宝されましたが、重く壊れやすいという難点がありました。その後アンフォラに代わり、樽が作られ、ワインの流通はより活発になりました。