Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

李登輝の人生は台湾史の縮図だった、「親日かどうか」は論点ではない

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
Wedge

 李登輝の訃報を知らせるニュースを受け取ったのは、新刊『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』に関して、ウエブセミナーを開催している最中だった。その時、私は一瞬何を語ったらよいのかわからなくなり、沈黙してしまった。

 なぜ、そうなったのか。それは、李登輝の死ということはすでに避けられない事態だとわかっていたからではなく、李登輝という人物の一生の終焉を、どのように論じていいのか、わからなかったからだ。これが仮に亡くなったのが陳水扁前総統や馬英九元総統であれば、在任中の総統としての功罪をテキパキと述べられたかもしれない。だが、李登輝については、そうは簡単にいかないのである。  訃報を伝える日本のメディアには「台湾の民主の父」や「親日政治家」という形容もあった。李登輝には、いずれも、確かにそうした一面はあった。しかし、それらが李登輝のすべてではない。李登輝の人格や人生はあまりにも複雑かつ複合的である。総統在任前に成したこと、総統在任中に成したこと、総統在任後に成したこと、語るべき点が多すぎる。  なにしろ、97歳で亡くなった李登輝の人生には、台湾が歩んできた波乱万丈の1世紀の歴史が縮図として詰め込まれているからである。  台湾は17世紀から清朝の統治下にあった。李登輝の先祖は、福建省南部から渡ってきた。客家の血統だと言われるが、李登輝は客家語を話さなかった。台湾では、福建系、客家系、原住民の血が複雑に混じっており、蔡英文総統にも客家の血が入っているとされる。李登輝の忍耐強さ、勤勉さ、周到さは世に言われる客家的な特色と通じるとも言えなくもないが、想像の域を超えるものではない。  台湾は、日清戦争での日本の勝利により、清朝から下関条約によって日本へ割譲された。1895年のことである。1923年に台北近郊の淡水で生まれた李登輝の父親は警察官で、経済的にも安定した家庭で育った。中国古典の論語や日本古典の古事記や夏目漱石全集などを読破する優秀な子供だった。日本人中心のエリート校である台北高等学校に合格する。中学校のころに李家は日本名に改名しており、岩里政男と名乗っていた。家族が里(り)は李(り)と同音であることから岩里姓を選んだという。

【関連記事】

最終更新:
Wedge