【広島好き】「00」「4」「5」「19」の背番号物語。過去にカープで背負った選手を振り返る
古くは1960年代の藤井弘や1990年代の町田公二郎(康嗣郎)など、『右の大砲』のイメージも強い番号ですが、極めつきはやはり2006年から10年間、この番号を着けた栗原健太でしょう。
栗原は金本知憲、現監督の新井貴浩と、主軸打者が立て続けに阪神へFA移籍したチームの4番打者として、低迷が続いていたチームを支える存在でした。また、この番号は第一次黄金時代の1970年代後半から1980年代前半にシェーン、ギャレット、デュプリー、近年もルナなど、外国人選手の番号でもありました。
矢野の「4」は、最近4年間は空き番号となっていましたが、2010年から2020年までは、現打撃コーチの小窪哲也の背番号でした。その前が尾形佳紀、外国人選手でもアイルランドやシーツなど、日米関わらず『シブい』印象の背番号ですが、この番号で最初に主力選手として活躍したのが、初優勝時にレフトを守っていた水谷実雄です。
山本浩二、衣笠祥雄のひとつ下の世代となる水谷は、1976年から球団初となる3年連続打率3割以上をマークした好打者で、1978年には球団記録となる打率.348で首位打者のタイトルを獲得しています。
さらに1985年からこの番号を背負った正田耕三は、俊足、好守巧打の二塁手として、首位打者2回、盗塁王1回の実績を誇る名選手です。1987年にNPB史上初となるスイッチヒッターの首位打者となった正田ですが、タイトル獲得を決めたのは最終戦でのバントヒットで、本塁打0での獲得も2リーグ制後、初の記録でした。
1989年に獲得した盗塁王は、4差で追うシーズン最終戦にNPBタイ記録となる1試合6盗塁でタイトルを決めるなど、勝負強さも光る選手でした。
来季から新背番号となる4選手は、歴代OBを凌ぐ活躍で球団史に名を残す選手になれるか。変革を掲げながら、全くその兆候が見られないオフに、新背番号はささやかな『変化』の話題となりました。
文:大久保泰伸
大久保泰伸