【広島好き】「00」「4」「5」「19」の背番号物語。過去にカープで背負った選手を振り返る
カープでは来季に向けての新背番号が発表され、4選手が背番号変更となりました。今季チームトップの11勝を挙げた床田寛樹が「28」から「19」、代走の切り札的存在だった羽月隆太郎が「69」から「00」に変更。
フレッシュな三遊間を組んだ小園海斗が「51」から「5」、矢野雅哉が「61」から「4」と、主軸選手としてひとケタの数字を背負うことになりました。代々受け継がれる背番号は、球団の歴史そのものとも言えますが、この4選手が受け継いだ番号、過去にはどんな選手が着けていたのでしょうか。
まず、野村祐輔の背番号を受け継いだ床田の「19」ですが、2000年代は02年に先発として13勝をマークした長谷川昌幸や、リリーフで活躍した上野弘文など、右の本格派投手の番号というイメージです。
しかし、1980年代後半から90年代前半を見ると、左殺しのワンポイントリリーフとして、438試合連続救援登板と当時の日本記録を樹立した清川栄治、1991年に中継ぎとして46試合に登板した石貫宏臣と、サウスポーが着けた背番号でした。
チームが初優勝した1975年には『キックの宮』と呼ばれた宮本幸信も着けた番号ですが、左腕の2人はいずれもリリーフ投手で、昭和の時代を見ても左の先発でエース的存在の投手は見当たらず、床田がこの番号でその地位を築くことができるか、注目したいところです。
羽月の「00」は、今年まで着けていた曽根海成に、その前が中東直己と、羽月と同タイプの代走、守備などスペシャリストの番号となっています。2000年代後半の山崎浩司も内野守備には定評があった選手で、塁上の走者をアウトにする『隠し球』を得意とするなど、個性的な選手でした。
1991年に4番も任されたアレンが最初に着けた番号ですが、2004年のブレイク前年まで嶋重宣が4年間背負った番号ということは、意外と知られていない事実かもしれません。
小園と矢野の新背番号は、さすがにひとケタ番号ということもあり、球団史に名を残すような選手が多く見られます。まず、小園の「5」は、2023年に西川龍馬が1年だけ着けた背番号で、その前は長野久義でした。