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「偶然が重なった」原爆投下、一命取り留めた88歳が語るあの日

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西日本新聞

 長崎平和推進協会の写真資料調査部会に所属する堀田武弘さんは戦後まもなくの地元紙記事を目にした。廃虚となった被爆後の長崎市内を撮った12枚組の写真の存在。何を語るのか-。 【写真】石碑の前に立つ丸田和男さん     ×    ×  原爆で、鉄骨群はぐにゃりとなぎ倒された。写真は被爆後、長崎市の浦上駅付近から撮られた三菱長崎製鋼所の姿だ。爆心から約1キロ、防弾鋼板などの生産拠点は壊滅的被害に遭った。  長崎は製造業を中心に発展を遂げた。被爆前の爆心地近くは製鋼所のほか、兵器製作所など三菱の軍需工場が並んだ。米軍機B29の爆撃手はその工場群近くに原爆を投下した。  この写真を見た、被爆者の1人で、製鋼所近くの旧制県立瓊浦中学校に通っていた丸田和男さん(88)は被爆当日を振り返る。  この日、朝の空襲警報がやんだので、学校に行って英語の試験を受けた。製鋼所前は通い慣れた通学路で被爆の30分前も歩いて帰宅。銭座町に帰宅後に原爆が投下され、大けがをしたが何とか一命は取り留めた。「帰宅が遅れたら私も死んだかもしれない」  被爆時、製鋼所内には学徒動員中の生徒もいた。瓊浦中は動員を含む生徒と教職員の約3分の1にあたる約400人が犠牲に。1年生の丸田さんは動員をまぬがれたが、製鋼所へ向かう先輩たちを目にしてきた。  いま製鋼所跡にはその存在を記す石碑が立つ。被爆体験の語り部も務める丸田さんは「偶然が重なって、私は生かされた。動員ばかりで学校にも行けず、命を落とした若者のことを伝え続ける」と話す。 ※記事・写真は2020年02月03日時点のものです

西日本新聞社

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