なぜ豪移籍の本田圭佑は現役のまま前代未聞のカンボジア代表監督をやるのか
ここで言及された「刺激」の詳細を、メディアから問われたことがある。3年半所属したセリエAの名門ACミランを契約満了に伴って退団し、次なる移籍先が注目されていた昨年6月。不敵な笑みを浮かべながら、サッカーにおける「刺激」を本田は説明している。 「同じルーティーンがあまり好きじゃないんですよ。環境もそうですけど、未開の地みたいなところがすごく好きだし、自分の知らないエリアに行くことも好き。いろいろな考え方からくる、ひと言で説明すれば好奇心ですね」 この観点に則れば日本人がほとんどプレーしたことのないメキシコリーグの名門、パチューカへ移籍した昨年7月の決断はおおいにうなずけた。しかし、メルボルン・ビクトリーでは初めての日本人となるものの、オーストラリアのAリーグにおいては日本人選手がプレーするのは決して珍しくはない。 シドニーFCへ期限付き移籍し、FIFA世界クラブ選手権の舞台に立った初の日本人選手となった三浦知良(横浜FC)をはじめとして、ともにウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCでプレーした小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)、ハリルジャパンにも選出された高萩洋次郎(FC東京)らが、すでに確固たる足跡を残している。 ただ、メルボルン・ビクトリーへの移籍が決まる直前の今月2日に、本田は滞在先のバハマからインターネットテレビ局『AbemaTV』のニュース番組に生出演。オーバーエイジでの東京五輪出場を目指すと仰天宣言したうえで、新天地に関してこう言及していた。 「サッカー選手以外にも新しいチャレンジをしようと考えていて、そのチャレンジを理解してくれるクラブと交渉を続けてきた。ものすごく理解してくれて前向きに話をさせてもらっていますけど、まだ何も決まっていない。かなり無理難題を投げさせてもらっているので」 いま振り返れば、新しいチャレンジとはアメリカの人気俳優、ウィル・スミスと先月中旬に立ち上げたベンチャーファンドなどのビジネスではなかった。カンボジアサッカー連盟との異例の交渉が本田の言う「無理難題」であり、メルボルン・ビクトリーが支持してくれたからこそ移籍を決めたのだろう。 代表監督ならば本田が求める「未開の地」や「好奇心」を、十二分に満たすことができる。常識的に考えれば不可能となる「二刀流」だが、本田は以前にこうも語っていた。 「常識という言葉が大嫌いなんです。『普通は』と言われると『普通って何や』とそれこそ一日中、考えてしまうので」