ユニクロ柳井正「一緒に降格してくれ」 後継者・玉塚元一、退任の真相
「普通の会社にしてほしくなかった」
それから4年以上がたちユニクロの再建に奔走する玉塚は、まさに胃がキリキリと痛むような毎日と直面することになる。客が消えた原宿店は、まさに柳井が言った場末のまんじゅう屋そのものだった。 結果は悪くなかったはずだ。玉塚はブームの終焉で落ち込んだ売上高を、3年かけてブームの絶頂期に近づけるまでに回復させてみせた。だが、柳井にはもの足りない。後にこう回想している。 「ユニクロを普通の会社にしてほしくなかった」 こうして柳井は玉塚に提案する。「一緒に降格してくれ。もう一回、一緒に経営を学び直そう」。柳井自身が会長から社長に、玉塚は社長から海外事業担当役員にするという。つまり、柳井の社長復帰だ。 世間はそれを「更迭」と捉えた。玉塚はこれを固辞した。わずか3年の「柳井の後継者」は、こうしてユニクロを去った。 後日談がある。玉塚はその後、兄貴分の澤田と企業再生ファンドを立ち上げ、ローソン社長に転じた。その直後のことだ。玉塚は柳井のもとを訪れ、「今度、うちのマネジメントオーナーの会合で講演いただけないでしょうか」と頼み込んだ。話は柳井によるローソン経営論に逸(そ)れたが、最後にこう断言した。「そんなの君に頼まれちゃ、断れるわけがないだろ」 こうして柳井を特別講師に招いて開かれたローソンの会合。約700人のマネジメントオーナーを前にした講演を最前列の端で聞いていた玉塚は不覚にも、この日の柳井の話をまったく覚えていない。 「皆さん、玉塚君をどうかよろしくお願いします」 そう言って柳井が頭を下げた時に、涙腺が決壊してしまったからだ。 現在はロッテホールディングス社長に転じ、日本を代表する「プロ経営者」に名を連ねる玉塚。その原点について、こう語る。 「ユニクロを飛び出した時には『あのオヤジを超えてみせる』なんて言っていたかもしれません。でも、まだまだ俺は青いなと思わされる。今思えば、ユニクロでの経験もすべてがつながっている。柳井さんは商売の師ですから」