ユニクロ柳井正「一緒に降格してくれ」 後継者・玉塚元一、退任の真相
フリースブームを巻き起こし、急拡大したユニクロ。ブーム終焉(しゅうえん)後の低迷期を迎え、再建に立ち向かったのが後継社長・玉塚元一(現ロッテホールディングス社長)だった。だが、その奮闘の結末は……。ノンフィクション『ユニクロ』(杉本貴司著)より抜粋・再構成し、柳井と玉塚の「師弟のドラマ」を紹介する。(文中敬称略) ●「なんで澤田さんだけが……」 2002年5月に開かれた緊急役員会。駐在先のロンドンから駆けつけた玉塚元一は耳を疑った。自分をユニクロに引っ張ってきた張本人であり、20代の頃から兄貴分と慕ってきた澤田貴司が経営不振の責任を取って副社長を退任するという。 何も知らされていなかった玉塚はその場で激高した。思えば、柳井の目の前でこれほど怒りをあらわにしたのは、後にも先にもこの時だけだろう。 「おかしいじゃないですか。なんでこんなことになるんですか。こうなったのはここにいる俺たち全員のせいでしょ。それなのになんで澤田さんだけが……。澤田さんだけが責任を取るって、どういうことですか! 俺にはこんなの、到底納得できないですよ!」 一同が黙りこくる。時間が止まったかのような張り詰めた空気を破ったのは、澤田の一喝だった。視線を玉塚に向けると、大声でまくし立てた。 「おいゲン! お前、いいかげんにしろよ!」 玉塚が「澤田さん、ここで諦めちゃダメですよ。もう一回、一緒にやりましょうよ」と語りかけても澤田はうつむいたまま。ひと言だけつぶやいた。 「もういいんだ。もう、決めたことだから」 すると柳井から「澤田君、玉塚君。二人とも社長室に来てくれ」と声をかけられた。社長室に入ると、その場で告げられたのが玉塚への社長打診だった。澤田からも「お前しかいないから」と促される。 実は澤田は二度にわたって柳井から社長就任を打診されたが固辞していた。代わりに白羽の矢が立ったのが玉塚だった。まったくの予想外の展開で、心の準備ができていなかったという玉塚。 「ええ、分かりました」 勢いでこう答えたことで、柳井の後継として社長に就任することが決まった。この時、39歳。