「競馬学校と騎手養成所」「関東と関西」「未曾有の競馬ブーム」 蛯名正義氏が振り返る“僕がジョッキーになったころの競馬界”
競馬人気はまさにピークを迎えており、1990年はダービーで東京競馬場に19万人、有馬記念の中山競馬場に17万人が訪れるほど。馬券発売の窓口は長蛇の列、場外発売のWINSでは入場制限をするところもありました。主催者のJRAにしてみれば「馬券を買いたい人が買えない」状況はあまりにもったいない。そこで、早い時期から電話投票やネット投票などの充実を図ったようです。 僕がジョッキーになった年の馬券の売り上げは1兆9700億円ぐらい。それが10年後には倍以上となり4兆円を超えたのです。まだそれほど多くのレースを勝っていたわけではないのですが、それでも賞金や騎乗手当が上がったことで、この右肩上がりを実感しました。 競馬場の環境整備もすすめられました。1990年に中山競馬場の新スタンドが竣工されたのを皮切りに、各地の競馬場がモダンな建物に変わっていきました。女性ファンを意識して、トイレなどもきれいになりました。 競馬に関してはいろいろなことが時代とともにいい方向に変わってきたと思います。これはJRAの企業努力もありますが、馬主さんや騎手・厩舎関係者、競馬メディアに携わる人、そしてファン、その他競馬にかかわる全ての人が競馬を大事にしてくれたからではないかと思うのです。 【プロフィール】 蛯名正義(えびな・まさよし)/1987年の騎手デビューから34年間でJRA重賞はGI26勝を含む129勝、通算2541勝。エルコンドルパサーとナカヤマフェスタでフランス凱旋門賞2着など海外でも活躍、2010年にはアパパネで牝馬三冠も達成した。2021年2月で騎手を引退、2022年3月に52歳の新人調教師として再スタートした。この連載をベースにした小学館新書『調教師になったトップ・ジョッキー~2500勝騎手がたどりついた「競馬の真実」』が発売中。 ※週刊ポスト2024年12月6・13日号