DeNA・村田修一コーチ 27年ぶりリーグV&日本一連覇へ男イズム注入! 14年ぶり古巣に帰ってきた
来季から野手コーチで14年ぶりに古巣DeNAに復帰する村田修一氏(43)が本紙のインタビューに応じた。現役時代はファンに「男・村田」と親しまれて横浜(現DeNA)、巨人で通算360本塁打を記録し、BC・栃木でもプレー。巨人、ロッテで指導者でも経験を積んだ男が自身の指導法やFA宣言時の秘話も語った。豊富な経験を生かし、98年以来27年ぶりのリーグ優勝と2年連続日本一に貢献する。 (取材・大木 穂高) ――まずはオファーが来たときの気持ちを教えてください。 「驚きはありました。でも、強くなる姿を他球団で見ていた。育ててもらった球団ですし、現役としては一番長くプレーさせてもらった球団。自分の経験を還元するチャンスを頂き、ありがたいと思いました」 ――まず最初の質問は、自身のことを兄貴分と慕う筒香選手について。ベテランの域でもあり、あまり指導することはないか? 「そうですね。ゴウ(筒香)もメジャーから帰ってきて、立ち位置がある。でも、向こうから来てくれて、いろいろな話をしてくれる分には常にウエルカム。その辺は話していきたいと思います」 ――チームには牧がいるが、その他にも自身のような右打者の長距離砲を育てることが使命になる。 「そうですね。でも、まず牧に興味があります。じっくり話したことがない。同じタイプでも自分には(成績の)波があったけど牧にはない。本塁打を狙わず、まず二塁打という考えは自分と同じだと思う。だけど普通はずっとあんな感じで打ち続けることはできないから、いろいろ聞いてみたいですね」 ――他にも右打ちの打者で期待するのは? 「まだ来て間もないけど、(牧より1学年先輩の)蝦名なんかはいいスイングをしている。守備も走りもいい。手助けしたいですよ」 ――指導者・村田を築き上げた礎は? 「巨人、ロッテでお世話になったけど、実は現役時代の最後、(BC)栃木での生活が大きい。1年間だけど、初めて1人暮らしをして、読書する時間が増えた。自己啓発本も読んで、自分を見つめ直すことができた」 ――人間としての引き出しが広がるきっかけになったのか? 「そうですね。若い選手にアドバイスを求められ、“俺がこうやって打つから見とけ”と打席に入ったり。それまで自分が指導者になるイメージなんてなかったけど、“俺、やってみたらどうなるのかなあ”なんて思った。そうしていたら(巨人からコーチの)オファーが来ましたね」 ――自身の指導法の特徴は? 「まずは“どう打ちたい?”と選手の話を聞く。でも、ホームランを打ちたいと言われても、タイプが違う選手には説明します。“ホームランで生きていけるのか?99メートルの大飛球を打っても捕られたらアウトだよ”と。ロッテなら小川龍成とか、佐藤都志也とか徹底的に話し込みました」 ――練習時間などのこだわりは? 「アーリーワークの徹底とか、そういうのは選手に任せます。練習時間は、朝でも夜でも“お前次第だ”と。そして、最後は(感覚を)つかむ、つかまないかも“お前次第だよ”という感じです」 ――現役時代、横浜から国内FA権を行使して巨人に移籍した。 「あの頃は、球団(TBS)が身売りするとかの話題が続いて…。チーム方針が“5年後に強くなる”だった。自分は翌年が32歳シーズンで、5年後は37歳シーズン。フル出場はできないであろう年齢です。でも翌年だったら勝負できる。そういう考えはありましたね」 ――当時の内川、吉村、金城らが並ぶ横浜打線も強力だった。 「僕らの打線もボコン、ボコンという長打はあった。でも、ボコン、ボコンとやられる。緻密な野球がちょっと…」 ――移籍するメリット、デメリットはあるが、野球観や視野は確実に広がる。 「巨人に移籍して野球観が変わった。凄い打者がたくさんいるのに緻密な野球。阿部慎之助(現監督)の取り組みも、外から見ているのと全然違った。存在感もあるし。だから自分の打撃フォームもだんだん小さくコンパクトにまとまっていった。自分の成績に危機感さえ感じた」 ――今季はリーグ3位から日本一となったが、来季、まずは98年以来、27年ぶりのリーグ優勝が目標になる。 「やはりそこを目標に、みんながスタートすると思う。達成した時は今年の短期決戦(CS、日本シリーズ)を勝った時より、うれしいでしょうね。楽しみですね」 ◇村田 修一(むらた・しゅういち)1980年(昭55)12月28日生まれ、福岡県出身の43歳。東福岡、日大を経て02年ドラフト自由獲得枠で横浜(現DeNA)入団。07、08年に本塁打王に輝き、11年オフに巨人にFA移籍。17年オフに巨人を自由契約となり、18年はBC・栃木でプレー。同年限りで現役引退。NPB通算成績は1953試合で打率.269、360本塁打、1123打点。19~22年は巨人、23年はロッテでコーチを務めた。08年北京五輪、09年WBC日本代表。右投げ右打ち。 ≪忘れられないFA決断≫【後記】記者は2011年に横浜を担当。そして同年オフ、村田はFA権を行使して巨人に移籍した。忘れもしない、10月18日の本拠地・横浜スタジアムでのシーズン最終戦。試合直後、リーグ優勝した中日・落合監督の胴上げを悔しそうな表情で見つめていた村田に「FA権を行使する気持ちはあるのか?」と質問すると、返事は「はい…」。同21日付紙面で、その決断を報じた。 今回のインタビュー後、その時のことを振ると、すぐに「胴上げの試合ですよね」と返ってきた。当時、優勝への強い思いを胸に横浜を去る男には、ファンから辛辣(しんらつ)な言葉が飛び、巨人移籍後も大ブーイングを浴びていた。今でも“つらい過去”として記憶されているのかもしれないが、柔和な表情で振り返った姿に、記者は少し安堵(あんど)した。(DeNA担当・大木 穂高)