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信仰熱心だった祖母に「神様」が与えた「絶望と苦しみの最期」

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現代ビジネス

 「神様を信じれば、幸せになれるんだよ」  これは祖母の口癖だった。  “幸せの定義”すら理解していない幼い頃から、ぼくは何度も何度も繰り返し、そう言い聞かされてきた。 【マンガ】「エホバの証人の活動の中で、最もつらかったこと」元信者が告白  幸せになれる。目の前でうれしそうに笑いながら呟く祖母を見ていると、その意味はわからなくとも、なんとなく“いいこと”なのだとは思えた。祖母の信じる神様も、信仰も、宗教も、こんなに祖母を笑顔にしてくれている。だからきっと、それらはいいことであり、正しいことなんだ。ぼくは疑うことなく、彼女の言葉をそのまま受け入れた。  けれど、成長するにつれて、信仰に対する疑念が湧いてくる。これは本当に正しいことなのか。少なくとも、ぼくにとっては不必要で、盲目的になにかを信仰することは決して正しいとは言えないのではないか。そうして一度芽吹いてしまった疑念を、なかったことにはできなかった。 ---------- 宗教三世のライター・五十嵐大さんによる連載「祖母の宗教とぼく」。五十嵐さんの母を出産したのち、ある宗教の信者となった祖母は、五十嵐さんの学級名簿を利用しての強引な布教活動もいとわず、他の宗教は一切認めない熱烈な信者だった。そのせいで五十嵐さんも五十嵐さんの母も大切な友人を失ったことがあった。 信教の自由は憲法でも保障されているが、それは「個人単位」なのではないのか。家族間で強要していいものなのか。それを考えさせられる連載の9回目は、祖母が天国へ旅立ったときに五十嵐さんが感じたことを率直に伝えていただく。 ----------

どうしても神様を否定したくなった瞬間

 やがて大人になり、ぼくは信仰と距離を置くようになった。実家を離れ、東京でひとり暮らしをはじめてからは、完全に“ふつう”の生活が送れるようになった。部屋に宗教にまつわるものを置かない。宗教の話題も出さず、宗教信者とは関わらない。そうやって距離を取ることで、自分が“ふつう”であると思い込もうとしたのだ。  その一方で、祖母を裏切っているのではないか、という葛藤に苛まれることもあった。彼女は彼女の正義のもと、ぼくを幸せにするために信仰を勧めていた。その気持ちを無下にしているのではないか、と感じてしまうのだ。  だからこそ、いくら宗教から離れたとはいえ、決めていたことがあった。  それは、「祖母の目の前で、宗教を否定しない」ということだ。  たまに会いに帰れば、祖母は必ずこう言う。  「ちゃんと神様にお祈りしているのか?」  反射的に、「いつまでそんなことを言ってるんだよ」と言いかけてしまう。でも、それをぐっと堪えて飲み込み、「うん、心配ないよ」と曖昧に笑って誤魔化す。そうすれば、祖母もそれ以上は追及してこないことを知っていた。  すべては祖母のためであり、ぼくのためでもある。この“嘘”は、ぼくが祖母と良好な関係を続けるための処世術だった。  そもそも、長年信仰を続けてきた老人に対し、「お前がやってきたことは、すべて間違いだったんだ」と突きつけることになんの意味があるだろうか。  祖母は祖母の世界のなかで、心穏やかに生きている。神様を信じることにより、安らかな毎日を送ることができているのだ。無駄な正義感を振りかざし、それを邪魔する必要なんてない。  家族とはいえ、どうしてもわかり合えない部分はグレーのままでいい。そう思っていた。  ところが、どうしても神様の存在を真っ向から否定したくなってしまった瞬間があった。  それは、祖母が亡くなったときのことだ。

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