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「不戦のバトン」引き継ぐ 全国戦没者追悼式、千葉から15人参列

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千葉日報オンライン

 75回目の終戦の日を迎えた15日、東京都千代田区の日本武道館で全国戦没者追悼式が開かれ、千葉県から66~82歳の遺族15人が参列した。父と叔父が犠牲になった男性は「戦争を風化させてはいけない」と戦禍を語り継ぐ大切さを訴え、長崎で被爆した母を今年3月に亡くした女性は「バトンを引き継いだ。被爆者と子どもたちを橋渡しする場を作りたい」と不戦の決意を新たにした。  昨年は千葉県から11~94歳の230人が参列したが、今年は新型コロナウイルス感染防止のため厚生労働省と県が出席者を絞り込んだ。千葉市遺族会会長の川島義美さん(79)=千葉市稲毛区=が千葉県遺族代表として、千葉県原爆被爆者友愛会の「2世の会」に昨年加入した真下美津子さん(66)=船橋市=が原爆死没者遺族代表として、それぞれ献花した。

33歳で逝った父

 川島さんの父、蔀(ひとみ)さんは1944年8月18日、出征先のニューギニア・サルミで33歳で亡くなった。アメーバ赤痢という病に侵された末の戦病死だった。叔父の辰之助さんも同年10月12日、中国・湖南省で20歳で戦傷死した。川島さんは当時3歳で、父や叔父の記憶はほとんどないという。  父が逝ったサルミにはこれまでに2回、慰霊のため訪れた。戦争経験者が少なくなる中、「平和の尊さを子どもたちに語り尽くしたい。戦争を風化させてはいけない」と力を込める。小中学校で戦争の記憶を語り継ぐ活動を遺族会として始めたいと考えている。

「足元にグニュっと」

 同追悼式に初めて参列した真下さんは、母親の中村ミキさんが19歳の頃に長崎で被爆した。女子挺身(ていしん)隊員として爆心地から離れた場所で兵隊に食事を提供していたが、故郷の五島列島に帰る途中の8月17、18日、原爆が投下された長崎市松山町に入った。  「歩いていると足元にグニュっという感触があって、人の形を無くしてしまった人が倒れていた」。母から伝え聞いた当時の惨状だ。「今があるのは犠牲になった人たちのおかげ」と語ってくれた母は今年3月、93歳で他界した。被爆の影響で、甲状腺の機能低下などの後遺症を患っていたという。  母の思いを引き継ぐため友愛会に入った真下さんは「被爆者は高齢化している。風化させないために、お年寄りと子どもたちの橋渡しの場を作っていければ」と語る。母から受け継いだバトンを、次世代につなぐ決意だ。

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