『はいよろこんで』が総再生回数100億超の大ヒット!こっちのけんと「影響を受けたアーティストは兄・菅田将暉」生田竜聖アナと“有名俳優の弟”対談
兄・菅田将暉には「どう考えても影響を受けた」生田斗真を兄にもつ生田アナに親近感
生田:ここからは、ルーツをうかがいたいのですが、そもそも音楽活動を始めるきっかけはどこにあるのでしょうか? けんと:それで言うと、『(青春アカペラ甲子園 全国)ハモネプ(リーグ)』(フジテレビ)は、結構、デカいですね。『ハモネプ』をちっちゃい頃に見ていて、楽器は弾けなかったけど、ダンスを習ってて、音楽を聴くとか体に音楽をなじませるみたいなことは好きだったんです。 ギターも弾けない、ピアノも習ってたけど、あんまり弾けない。でも、テレビ見たら、ヒカキンさんとかが、ビートボックスで、ボイパバトルをしていて、「うわ、すごい人間がいるぞ!」となって、そのあとに、アカペラのすごいきれいなハーモニーで歌う人たちもいて。 「うわ!これ絶対やろ」みたいに思って、そこからですね。「大学生になったら、絶対アカペラをやるぞ!」って。そこから音楽の世界に入りました。 生田:大学卒業後、一度、会社員になるわけですが、そこから何をきっかけに、音楽の道を進むことにしたのですか? けんと:うちは3兄弟なんですけど、その真ん中として、スーツ着て、ちょっと堅い仕事をしてる人になっておきたいな、バランス取りたいなみたいなのがあったんです。でも、それをやればやるほど、「あっちのけんと」になっていって…。 家族からしても「けんとのここがすごいね」と言うのが難しいような、評価しづらい仕事でしたし、僕も守秘義務で言えないみたいなのもあって、親孝行はできていないかもって。だったら、両親や祖父母の目に留まるような活動をしたいなっていうので、音楽の道に戻ってきたって感じですね。 生田:その決断を聞いたご家族の反応は? けんと:それこそ会社員時代の後半にうつ病になって、倒れてしまい、両親からもそっとされていました。 何もできない状態だと(両親に)伝わっていて「やりたいことをやったらいいよ」という空気感だったので、その隙間を縫って甘えていこうというので、そこから音楽を始めました。 生田:影響を受けたアーティストはいますか? けんと:やっぱり菅田将暉ですね。どう考えても「それは一番影響受けるでしょ」っていう立ち位置にいますので。 自分が上京した時に同居もしていましたし、活躍しているのも見ていたから、(自分の)「こういう歌い方になってるのかな」とか「こういう曲を歌うのが好きなんだろうな」とか、想像が膨らみやすいですし、影響は受けましたね。 生田:けんとさんと私には共通点が…。 けんと:そうですよ!ちょっと嬉しかった、今回。 生田:僕もお会いしたかったんですよ。 けんと:本当ですか? 生田:兄弟が俳優業をしているという…。 けんと:そっか、俳優業まで一緒ですね。 生田:そうなんですよ。で、(自分たちは)「弟」というね。すごく親近感を覚えます。 けんと:僕からすると、(生田アナは)理想の弟像というか。“これ”になりたかったんですよ(笑)。これっていうのもあれですけど、スーツ着て、賢くて、カッコよくて、スタイリッシュな感じでいたかったけど、気がついたらこうなっちゃって(笑)。 生田:インタビュー、番組などでお兄さんの話もされていますよね。拝見した時にはすごく共感したというか。 けんと:ああ!うれしい!泣きそう。 生田:一番グッときたのは「理想の菅田将暉の弟でいなきゃいけないと思ってた」っていうところ。本当にしっくりきました。 けんと:そうです。お兄さまは、いくつくらいで俳優に? 生田:結構、早かった。小学校の頃だったので。当時、僕は幼稚園年長とか。 けんと:じゃあ、まだ実感もなく。 生田:そうです。 けんと:いつ頃から実感したんですか?あんまり聞くのも…ですかね? 生田:やっぱり小学校とかになると(生田斗真さんが出演していた)『天才てれびくん』(現在:NHK Eテレ)っていう番組で。 けんと:ああ!そうや! 生田:子どもたち見るじゃないですか。それで「あの人の(弟)?」みたいな。そこから(兄は周囲の子たちとは)ちょっと違うのかも、と実感していったんだと思います。 けんと:その感じ、めっちゃ一緒かもです。「なんか違うのかも」っていう。いい言葉です。