「トランプ大統領」と「刑事コロンボ」に見るアメリカの「反知性」
コロンボの反知性
一方の『刑事コロンボ』は、NHKの長期的な人気シリーズで再放送も続いている。 一般にミステリードラマの筋立ては犯人探しがメインで、アリバイや密室や凶器などのトリックとその謎解きがおもしろいのだが、このシリーズの特徴は、視聴者に初めから犯人が分かっていて、殺人のトリックも分かっていることである。それに加えてもう一つの特徴は、犯人はプールつきの豪邸に住む大金持ちで、しかも決まって「知識人」ということだ。弁護士、学者、医者、作家、ジャーナリスト、シナリオライター、音楽家、美術家、写真家、映画監督、俳優、プロデューサーといった面々で、ほとんどがその世界で注目されている有名人すなわち「知的エリート」である。 これに対して、主人公であるロス市警の刑事コロンボは、いつもヨレヨレのレインコートを着て、廃車寸前のポンコツに乗り、「うちのカミさん」の尻に敷かれる、まさに風采の上がらない男だ。そしてその知性を犯人にバカにされながらもしつこく食い下がって捜査を進める。 しかし実はコロンボの方が頭が良く、犯人が知能を傾けたトリックを次々と見破り、知的格差の関係をひっくり返すのであり、その逆転過程が痛快なのだ。いわば知的下克上の快楽に支えられた「反知性」のドラマといえる。
カリフォルニアの知的格差
トランプ大統領を支持したのは主として中南部の州であった。同じアメリカでも東海岸と西海岸は進歩的な地域とされるが、中でもカリフォルニアは、昔から自由の地とされ、政治的には左派、革新が強く、ビート運動やヒッピーというカウンターカルチャーの地でもあり、いわば反エスタブリッシュ文化の牙城であった。 しかしいつのまにか、ハリウッドやシリコンバレーにおける成功者が知的上流階級を形成し、メキシコから流れてくるヒスパニック系移民がオレンジ農園などの労働者としてその対局を形成していく。コロンボはイタリア系であるが、その格差の間を動いているのだ。 つまりトランプもコロンボも、広いアメリカのそれぞれの地域に根ざした反知性の力を背景にしている。しかしコロンボには正義があり、超知性ともいうべき頭の良さがあるが、トランプはどうだろうか。単にドラマと現実の違いというわけでもなさそうだ。