【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.19】 岩井孝義「目指すはクラス1.0の“世界No.1プレーヤー”」
インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。 【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.17】藤井郁美「Wリーグ皇后杯の決勝で再確認したスポーツの力」 文=斎藤寿子 同世代の選手が次々とA代表入りするなか、悔しさをバネにして這い上がろうとしているのがVol.18で登場した北風大雅(ワールドBBC)。そんな彼にとって“良いお手本”となっているのが、一つ年上の岩井孝義(富山県WBC)の存在だ。男子U23日本代表時代はベンチを温めることが多かった岩井。「このままではダメだ」と練習を積み重ねた結果、2018年にA代表入りを果たし、現在は主力の一人として活躍している。もともとは車いすバスケットボールが好きではなかったという岩井。彼の気持ちにスイッチを入れたものとはーー。
悔しさしかなかったU23世界選手権あってこその今
小学6年の時に病気となり、手術をした後遺症で車いす生活となった岩井。「リハビリにいいから」という理由で、主治医にすすめられたのが車いすバスケだった。しかし、もともとスポーツが好きではなかったことに加え、一度もバスケットボールの経験がなかった岩井は、車いすバスケに興味を抱くことができなかった。 「初めて見た時は『車いすでこんなにも速く動けるんだ』という感動はありました。でも、だからといってやりたいとは思えませんでした。結局、親に連れられて練習に参加するようにはなりましたが、楽しいと思ったことはありませんでした」 毎回、練習を休むきっかけを探すくらい、嫌で仕方がなかったという。そんな彼の車いすバスケへの気持ちが変わったのは、中学3年の時のことだ。同じチームの先輩、宮島徹也(富山県WBC)から4年に一度、男子U23世界選手権が開催されていることを教えてもらったことにあった。「頑張れば、オマエも出られるよ」という先輩の言葉が、15歳の少年の心を突き動かした。 「それまでは目標もなく、ただ練習をしていただけだったのですが、テツさんの言葉で初めて大きな目標ができたんです。それが大きかったと思います。それとすでに日本代表で活躍していたテツさんからの言葉だったので、本気で『やってみようかな』と思えたのだと思います」 2012年、高校1年で初めてU23日本代表のメンバー入りを果たすと、岩井は13、17年と目標としていたU23世界選手権に2度出場した。しかし、いずれも納得のいく結果は得られなかった。なかでも17年、カナダ・トロントで開催されたU23世界選手権での悔しさは今も忘れてはいない。ベンチを温めることが多く、チームに貢献できていない自分への不甲斐なさが募った。 その年、U23世界選手権に出場した同世代が何人もA代表入りを果たしたことも、追い打ちをかけた。「このままではダメだ」。そう思った岩井は、黙々と練習を積み重ねた。基礎から見直し、一つひとつのプレーの精度を高めることに注力した。それは、まさに地道な作業だった。 すると、翌18年に転機が訪れた。初めて日本代表の強化指定選手に入り、さらにその年に行われた世界選手権のメンバーにも抜擢されたのだ。その背景には、U23世界選手権に向けて磨いてきたシュート力の高さもあった。 「それまでのクラス1.0は、ハイポインターを活かすための“合わせ”のプレーがほとんどで、シュートを打つ選手はあまりいませんでした。そこで“だったら、自分がシュートを打てるようになろう”と思ったんです。それで、シュート練習に力を入れるようになりました」 自分に合ったシュートフォームを確立させようと、時には2時間近くも考えながらシュートを打ち続けたという岩井。「どうすれば入るのか」「どういう時に入るのか」を考えながら、シュートが入った時の感覚を体にしみこませようと懸命に練習した。 その結果、岩井はもともと強みとしていたスピードに加えて、シュート力も武器とするようになった。それがA代表入り後に実を結び、みるみるうちに、日本代表の主力の一人として期待を寄せられるようになっていった。 「特に世界選手権に出場できたことは、自分にとって大きかったです。それまで聞いたこともない大歓声の中、世界のトップチームと戦うことができて、とても楽しかったです。A代表でもやっていけるかもしれない、と手応えと自信を持たせてくれた大会となりました。いずれにしても、17年のU23世界選手権で悔しい思いをしたからこそ、成長できたのだと思います」