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世界で最も成功した救出作戦を称える「チャビン・デ・ワンタル英雄博物館」―在ペルー日本大使公邸占拠事件の記憶―

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サライ.jp

「公邸を占拠した後、テロリストのリーダー、ネストル・セルパは最初の人質解放を行いました。しかし彼らはその中にフジモリ大統領の妻(※母の誤り)や姉がいたことには気づかず、大きな失態を犯しました。フジモリ大統領はその後すぐ、公邸内の電気や水道などのライフラインをすべて遮断しました。セルパからライフラインの復旧を迫られたペルー政府は、技師に成りすました工作員を送り込み、修復作業を装いながら館内の至る所に盗聴器を仕掛けました。このおかげでペルー政府は事件当初からテロリストの動きを正確に把握することができたのです」

セルパらは当初「ペルー政府の経済政策の変更」「捕らえられている他のMRTAメンバーの釈放」「犯行グループ及び捕らえられている他のMRTAメンバーの中央アマゾン地域への移動」「戦争税の支払い」の4点を要求、のちにメンバーの釈放のみに固執し要求を続けたという(日本外務省公式発表)。しかしカルワヤンキさんの説明では、「驚くほどの大金と刑務所に収監されている仲間の釈放、そしてその仲間たちとの海外逃亡」に変わっていた。

人質たちが127日間過ごした公邸2階

2階には、人質たちが数人ずつ幽閉されていた部屋のレプリカが並んでいる。各部屋には識別用の文字が冠され、“A室”と“B室”にはペルー国軍や警察の指揮官クラスが、“D室”には青木大使やフジモリ大統領の兄弟であるペドロ・フジモリ氏などがいた。

博物館内には、作戦終了後現場から押収したMRTAの武器や所持品、行動マニュアルなども展示されていた。リーダーのセルパはこの時44歳、メンバーの多くは19歳から21歳の若者だという。彼らのほとんどはアンデスの寒村出身で、成功報酬と引き換えに参加した即席のテロリスト集団だった。

ペルー軍管轄の博物館だけあって、サンドバル中佐とヒメネス中尉の扱いは別格だった。生前の写真や遺品、自筆の手紙と共に両名の武勇を称える展示室が個別に設けられ、カルワヤンキさんも彼らの最期を詳細に語ってくれた。ペルーの軍人にとって、この2人はまさにヒーローなのだ。

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