英語できる長崎の女性、核廃絶へ決意新た…被爆時1歳で「証言」に引け目もサーロー節子さんに背中押される
【オスロ=美根京子、小松大騎】今年のノーベル平和賞を10日に受賞した被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」を祝福する晩さん会が同日夜(日本時間11日未明)、ノルウェーの首都オスロ中心部のホテルで催された。被団協の事務局次長、和田征子(まさこ)さん(81)(横浜市)は英語で多くの参加者とコミュニケーションをとった。米国滞在の経験があり、英語で証言できる数少ない被爆者。国際社会に核兵器廃絶を訴え続ける決意を新たにしていた。
晩さん会には被団協代表団のメンバーのほか、ノルウェーの王族や議会議長ら約200人が参加した。テーブルにはノルウェー産ニンジンのグリルやサーロインステーキなどの食事が並び、祝宴は約4時間続いた。
着物姿で参加した和田さんは「多くの海外の方が席に来てくれ、授賞式について『感激した』などと伝えてくれた。とても手応えがあった」と笑顔を見せた。
1歳の時に長崎で被爆した和田さん。自宅隣の空き地で朝から晩まで遺体が焼かれていたことを母親から繰り返し聞いて育った。地元で英語教師として働き、結婚後は夫の転勤で米国に滞在。帰国後の約40年前から東京の被爆者団体の活動に参加した。
証言集を作るためにまとめた文章を母に見せたが、「こげんもんじゃなか」と言われた。母が8月になると思い出すという遺体が焼かれるにおいも分からず、語り継ぐことに引け目を感じてきた。
転機は2016年のスイス・ジュネーブでの国際会議。現地でカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(92)から「お母様から聞いたことはあなたが誰より知っているはず。あなたみたいな若い人にも話してほしい」と背中を押された。その後、得意の英語を生かし、数々の国際会議で証言を重ねた。
被爆体験を初めて聞く外交官も多く、実相が知られていない現実を突きつけられることもある。一方、スタンディングオベーションが起きることもあり、国際的な場で発信する意義を感じてきた。