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「“毒イチゴ農家”ってネットに書かれたことも…」“イチエフ”の町・大熊で生きることを決めた人たち

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ABEMA TIMES

■孫たちに「泊まっていけ」と言い出せない

 大熊町では町内44カ所に設置されたモニタリングポストでその場所ごとの空間放射線量を確認することができる。イチゴ工場がある大川原地区の放射線量は、毎時0.1から0.18マイクロシーベルトで、福島第一原発からおよそ70km離れた福島市と変わらない数値なのだ。  しかし、町で生活している人の中にも放射線への不安は残っている。大川原地区で妻と2人で暮らす、長谷川信一さん(72)。原発事故の前には母、妹も一緒に暮らしており、孫たちもよく遊びに来ていたというが、今は積極的に呼べなくなっている。「表で遊べないからね。どんどん遊んでも大丈夫なんだけど、こうやって帰ってきても、どこの子どもも来てないじゃん。だからうちの子だけ連れてきて遊ばせるのもどうかなと思って。来たら、とにかくうちの中で遊んでと」。心配しているのは放射線の体への影響だ。将来、もし孫たちに何かあった場合、責任が取れないと考えているからだ。  「私たちはどこ歩いても問題ないけども、私ら年寄りが戻って、子どもをどういうふうに呼んだらいいのかなっていう悩みはあるね」。この日は久々に孫たちと食卓を囲んでの食事だ。「久々だな、みんなでご飯。いつ食べたっきりだったっけか」としみじみ。不安を抱えてはいるが、孫たちが遊びに来てくれるこの時間が何よりの楽しみだ。遊びに来ると必ず家に泊まっていた孫たち。しかし今は「泊まっていけ」とは言い出せない。次に孫たちが遊びに来る日を楽しみに、ふるさとでの暮らしを続ける。

■幸せな生活ができるように、それだけを考えて頑張っていきたい

 町内にある会社の寮に住んでいた横川さん。去年9月、新しい家の上棟式を迎えた。今も離れて避難を続けている母と祖母と一緒に暮らす予定だ。不便な生活が待っていると分かっていても、またふるさとで生きることを決めたのは、原発事故によって止まっていた時計の針を再び進めたいからだ。「やっぱりうれしいですね。普段ほとんど人がいないので。“3月12日を始める”、みたいなイメージですかね。あの日の続きを始めるっていう。そんな感じです」。

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