松下奈緒「ピアノを離れれば、もっと楽しいことがあるのでは?」…練習に時間を費やした学生時代を振り返る
ミュージシャン、デザイナー、作家、俳優、職人など、異なるフィールドを舞台に活躍する“ふたり”が語らうTOKYO FMの番組「三井ホーム presents キュレーターズ~マイスタイル×ユアスタイル~」。 今回のゲストは、松下奈緒さん(女優、ミュージシャン)×河野伸さん(作・編曲家、キーボーディスト。ここでは、「音楽との出会い」について語り合いました。
1985年生まれ、兵庫県出身の松下さん。2004年に女優デビュー。NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でのヒロインをはじめ、数々のドラマ・映画で主演をつとめています。2006年からは、ピアニスト、作曲家、歌手として音楽活動もおこなっています。 一方、1964年生まれ、東京都出身の河野さん。1994年にポップユニット「SPANK HAPPY」を結成。その後は、楽曲の提供やアレンジ、プロデュース、テレビドラマのサウンドトラック制作やライブサポートなど多岐にわたる活動をしています。
◆ピアノを始めたきっかけは?
松下:河野さんが音楽を始めたきっかけ教えていただけますか? 河野:幼稚園の年長のときに、近所の友達と一緒にヤマハ音楽教室に通い始めて。姉も同じところに通っていて、友達が1人、2人と抜けてくなか、姉が続けていたので辞めると言いづらい環境があって。そのままズルズルと中学校3年生までかな? 松下:(その頃のピアノ教室では)ブルグミュラーとか、ツェルニーとかを弾いていたんですね。 河野:そうですね。 松下:その後は? 河野:中学校のときはポップスが大好きだったので、「クラシックを早く辞めたい」と思ったけど言い出せなかった。 松下:最初に興味を持ったのは? 河野:小学校のときは歌謡曲が好きで、ジュリー(沢田研二さん)とかキャンディーズとか。その後、おじからカーペンターズのLPをもらって、それを気に入って、中2のときにビートルズのライブ盤を姉が買ってきて。ものすごくハマりましたね。 松下:やっぱりビートルズですね。楽器を弾ける男の子は、すごく素敵だと思うんですよ。 河野:でも当時は、男がピアノをやっているのは……。 松下:でも、それを横目に続けたんですよね。 河野:練習していかないと先生の前で弾けないし、ひどいときは、「来週はこの曲ね」と赤鉛筆で丸を付けられるのを一生懸命、砂消しゴムで消していました。 松下:かわいいけどズルい(笑)。それでも通うことは続けたんですね。 河野:なんとか続けたんだけどね。 松下:でも、「ずっと音楽に親しんでいないとイヤ」という気持ちは、どこかにあったのかもしれないですね。 河野:ラジオはずっと聴いていたので、ポップスを耳コピして聴くのが好きでした。奈緒ちゃんは、ゴリゴリのクラシックでしょ? 松下:私は3歳からやっていました。母親がずっと(ピアノを)やっていたので、「娘にも弾かせたい」という思いがあったと思うんです。でも、河野さんと同じで、私も辞めるタイミングがなく、辞めたいと言う勇気もなく。 河野:辞めたかったの? 松下:中学生になったら、みんな部活をするけど、私はやったことがなくて。みんなで合宿に行ったり、放課後に集まってバスケしたりすることに憧れて。「ピアノを離れれば、もっと楽しいことがあるのでは?」とずっと思っていました。でも、辞めても急にバスケできるわけでもないし。 河野:そんなにやりたくもないでしょ? 松下:青春を楽しむ時間を、全部ピアノの時間に費やしていたので、ちょっと取り戻したい気持ちはあったんですけど、いつも夜7時~9時の間、2時間は練習時間だったんです。でも、7時から始まる「ドラえもん」を、どうしても観たくて……。よく時計の針を動かして観ていました。 河野:実際は2時間練習していなかった? 松下:そうですね……母にはバレていたと思いますが……。そんなことをしながら、「この曲も弾けるようになった」「昨日は弾けなかったパッセージが、今日は弾けるようになっている!」ということの繰り返しで続けてこれました。 河野:今もそうだもんね。 松下:そういう喜びが積み重なって、30年以上続けている感じです。 (TOKYO FM「三井ホーム presents キュレーターズ~マイスタイル×ユアスタイル~」より)