「報じるに値するもの」を嗅ぎつける記者の嗅覚とは何なのか? 見落とされた安倍前首相の答弁
政治と報道をめぐるこの短期集中連載。第1回~第3回の記事では、記者会見をめぐる論点を取り上げた。今回と次回は、政治をめぐって、報じるに値するものとは何か、という問題を考えたい。
「桜を見る会」取材記者の印象に残った官邸職員の一言
この問題を考えるにあたっての格好の素材が「桜を見る会」だ。大手紙は毎年、「桜を見る会」を取材しており、有名人に囲まれた安倍晋三首相(当時)の写真や、安倍首相が詠んだ句などを紹介してきた。しかし、功績・功労のある方々をお招きする会であるという本来の趣旨から逸脱し、安倍首相らが後援会関係者を数多く招待する場となっていたことは、報じてこなかった。 それを報じたのは、「しんぶん赤旗」の日曜版2019年10月13日号だった。その内容は同年11月8日の参議院予算委員会における日本共産党・田村智子議員の質疑で取り上げられ、ツイッター上で話題となった。毎日新聞統合デジタル取材センターによる翌日のデジタル記事がネットでの反響を受ける形で質疑の内容を詳しく伝え、民放のワイドショーなどでもくり返し取り上げられていく展開となった。 ●【全文公開!】桜を見る会スクープ第一弾、安倍後援会御一行様をご招待、税金でおもてなし(2019年10月13日号スクープ)(しんぶん赤旗) ●「「税金の私物化では」と批判あふれる「桜を見る会」 何が問題か 国会質疑で分かったこと」(毎日新聞2019年11月9日) しんぶん赤旗日曜版による一連の「桜を見る会」報道は、日本ジャーナリスト会議の2020年度JCJ大賞を受賞している。 しんぶん赤旗日曜版と毎日新聞「桜を見る会」取材班は、その後も「桜を見る会」問題を追い、新たな事実を掘り起こしていった。その様子は下記に詳しい。 ● しんぶん赤旗日曜版編集部 『「桜を見る会」疑惑 赤旗スクープは、こうして生まれた!』(新日本出版社、2020年) ●毎日新聞「桜を見る会」取材班『汚れた桜――「桜を見る会」疑惑に迫った49日』(毎日新聞出版、2020年) 筆者も国会パブリックビューイングの企画として、しんぶん赤旗日曜版の山本豊彦編集長に、問題意識をもったきっかけや取材の過程について話を聞き、その対談映像を公開すると共に3回の連載で記事化した。 ●国会パブリックビューイング「「桜を見る会」質疑を支えたもの 山本豊彦(しんぶん赤旗日曜版編集長)・上西充子(国会パブリックビューイング代表)」(2020年1月7日) ●「田村智子議員「桜」質疑はどう組み立てられたか?ーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第1回)」(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年1月17日) ●「『桜を見る会』の実態を知らなかったからこそ立ち上がった問題意識ーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第2回)」(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年1月18日) ●「『桜』質疑をいち早く受け止めたのは、ツイッターとデジタル記事だったーーしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長との対談を振り返って(第3回)」(ハーバー・ビジネス・オンライン 2020年2月3日) この「桜を見る会」報道について、毎日新聞統合デジタル取材センターの古川宗記者が、先日、興味深い記事を発信した。みずからも政治部記者として「桜を見る会」を取材したことがある古川記者が、なぜ赤旗にはスクープができて、大手メディアにはできなかったのかを振り返った記事だ。 ●見る探る:赤旗はなぜ桜を見る会をスクープできたのか 見逃し続けた自戒を込めて、編集長に聞いてみた – (毎日新聞2020年11月21日) 「この問題は、視点が大事なのです。政権を握っているから後援会員を呼んでも仕方ないとみるのか、これは政権による行政の私物化とみるのか。それによって、見える景色が180度違ってくる」というしんぶん赤旗日曜版・山本豊彦編集長の言葉も紹介されているが、筆者が目を留めたのは、古川記者の次の一文だ。みずからが「桜を見る会」を政治部記者として取材したときのことを思い起こして記されたものだ。 “一点妙に印象に残っているのが、芸能人と記念撮影する安倍前首相を見ながら、官邸のある職員が「この行事も毎年やっているけど、目的がよく分からなくなっていますよね……」とぼやいていたことだ。“ 古川記者は「問題意識を持てなかった」とこの記事に記しているが、上記の「ぼやき」が印象に残っているということは、そこに問題意識の端緒はあったということだ。しかし、その問題意識は掘り下げて記事化されるには至らなかった。 古川記者は「桜を見る会」を「恒例行事」として取材してきたという。その古川記者に官邸職員が語った「目的がよく分からなくなっていますよね」という一言は、「桜を見る会」が本来の趣旨から逸脱してきていることを伝えるものだった。もしかしたらそれは、その官邸職員による、精一杯の「内部告発」の一言であったかもしれない。