たこ焼き「くれおーる」加西社長 ── 料理へのこだわり変えず、今月から東京にも進出へ
大阪で最も人気のある粉もんと言えば「たこ焼き」だろう。西成区の「会津屋」で生まれたとされ、最初はコンニャク、それから醤油味の牛肉を入れて肉焼きとして販売。その後、1935年(昭和10年)にタコと鶏卵を入れて「たこ焼き」と名づけられたという。今や大阪の街を歩けば、たこ焼き屋に出くわすが、とくにミナミの道頓堀は激戦区になっている。そんな道頓堀で「くれおーる」(屋号はクオリティーの意)は、行列のできる店として知られ異彩を放っている。社長の加西芙子さん(69)は、「私はたこ焼き屋のおばちゃんです」と笑うが、現在は8店舗を構え、一代で大きく成長をさせた。この23日にはいよいよ東京にも進出する。その人気の秘密を探った。
スタートは大阪・淡路の下町。満を持して東京へ
「今、8店舗ありますが、店は開けたり閉めたりしている。商売していると、新規店の場合、初日でだいたい分かります。初日の朝に行って、『こら、あかんなあ』と思ったら、あかん。ダメな場合はすぐに撤退し、新しい展開をせなあきません」 創業から15年、満を持して東京・道玄坂に初出店だが、「3、4年前から東京進出は考えていました。なかなか物件が決まらなかったんです」という。 加西社長は、飲食業界は未経験だった。もともとホームヘルパーの資格を取って、仲間と事務所を立ちあげ、長く介護の業界に携わり、会社では常務として手腕をふるっていた。 「20年ほどやってました。なぜたこ焼きを始めたかと言うと、事務所の玄関の横に空き地があって、花壇を造る予定だったんです。ところが、仲間が来た時に『花壇なんか造るより、たこ焼きでもやったら。ちょっとでもお金になる』と言うことで、始めたんです」 大阪・淡路の下町でスタートしたたこ焼きは、住宅街ではあったものの、やがて評判を呼ぶ。「当時、よそでたこ焼きを買ってきて食べようと思ったら、急に仕事が忙しくなって。で、仕事を終えてからつまむと、冷めてるし、おいしくない。そやから、冷めても美味しいたこ焼きを作ろうと思って。私、料理が好きで料理コンテストでも優勝したことがあって、料理を作るが大好きなんです。それで、ああでもない、こうでもないって、たくさん作ったんです」 100回以上も試作し、そのつど食べて味を確認する。味見役は高校生の息子さん(現・専務=加西幸浩さん)だった。「生地を焼いて、材料の配合が少しでも違うたら、ぜんぜん味が変わるんです。でも、何回も繰り返していくうちに、だんだん差がなくなってきて、うちの息子が『これでええんちゃうか』って。それが今のくれおーるのたこ焼きです」