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エースのジョーの引退/週べ回顧1971年編

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 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 巨人・菅野智之が届かなかった男、城之内邦雄がノーヒットノーラン【1968年5月15日】

川上監督の非情の宣告

 今回は『1971年12月27日号』。定価は90円。  エースのジョーこと、巨人・城之内邦雄が31歳で引退を決めた。  川上哲治監督2年目の1962年に入団した選手の一人で、この中の現役は柴田勲だけになった。  1年目から24勝、7年で129勝を挙げたが、以後腰痛に苦しんだ。それでも70年にはほぼ回復し7勝も、71年は5試合のみの登板に終わっていた。 「去年も俺、相当考えたよ。監督に相談に行こうか行くまいか。でも決心がつかなかったよ。この1年でやっと思い切れたんだ」  引退するかどうかではない。巨人にとって、自分は必要かどうかである。  ずっと葛藤していた。 「自分はまだやれる、勝てないのは試合に出してくれないからだ。自分の力が落ちたわけではない」  しかし、この年、一軍にいながら出番がほとんどない。  8月下旬に当て馬に使われ、日本シリーズでは打撃投手をさせられ、日米野球のオリオールズ戦では声もかからなかった。  プライドがズタズタになっていた。    相談した川上哲治監督は冷たかった。 「巨人は必要としない。好きなようにしなさい」  これで吹っ切れた。移籍のウワサもあったが、 「自分の意思で巨人に入ったのだから、自分の意思でやめよう」  と決めた。    納会の夜、仲間と麻雀をし、こんなことを言ったという。 「ほかのチームに行っても、いつかは同じ目にあわなきゃいけない。また同じようなことで苦しむのはイヤだよ」  翌春はアメリカに行き、メジャーのキャンプを回って勉強する予定というが、その後は決まっていない。 「解説の仕事をもらえたらと思っている。なんとかなるだろ。俺、口下手だし、文章だってうまくない。みっちり勉強してからのことだけどね」  エースのジョーは寂しそうに笑った。  では、またあした。 <次回に続く> 写真=BBM

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