マリア・シュナイダーが語る至高の作曲術、AIが代替できないジャズの民主主義
ビッグバンドとオーケストラ、それぞれの挑戦
―今、話してくれたようにあなたの音楽にはクラシック音楽からの影響がかなり含まれています。一方であなたのバンドは、基本的にはジャズのビッグバンドを改変したオリジナルの編成です。でも、あなたの音楽を聴いていると、ホーンで作っている音なのにまるでストリングスがいるかのような響きが聴こえることもあります。あなたは自身のバンドもしくはビッグバンドの編成の中に、どのようなやり方でクラシック音楽からの影響を取り入れてきたのでしょうか。 マリア:ビッグバンドのための音楽を書き始めたのは大学時代。NYに移ったあと、メル・ルイスのビッグバンドに1~2曲書き、その後もビッグバンドの委嘱の依頼を受けるようになった。すると、ヨーロッパではバンドといえばビッグバンドで、各大学にビッグバンドがあることがわかった。だから、私もグループを作る段階で「このスタイルを続けよう」と決めた。そうすることで自分の音楽を演奏してもらえるわけだから。つまりは実用的な理由から。 その後もビッグバンド音楽を掘り下げ、曲を書き続けたけれども、同時にオーケストラルな音を出したいといつも思っていた。自分のバンドを「ビッグバンド」という形にしたのは、それで生計を立てられるから。これも実用面から。つまりキャリアを通じて、ずっとビッグバンドを少し広げて、オーケストラみたいな音を出す方法を探してたんだと思う。「作曲家には制約がある方がクリエイティブに考えられる」と言ったのはストラヴィンスキーだったけれど、私も制約があったから、他とは違うオーケストレーションを探せたのだと思う。 ―いい話。 マリア:例えば(管楽器の)ミュートを利用するのもそう。私は個々の楽器の音を考えた。それぞれの人が持つそれぞれの音。様々な木管楽器をダブルで重ねた。アコーディオンも加えた。ギターもね。さらに一つの楽器を様々に組み合わせ、2つ3つとダブリング(同じ楽器の同じフレーズを重ねること。微妙なズレで独特の質感が生まれる)することでどんどん可能性は広がってくる。計算上だけでも無限の並び替えが可能になる。 ―たしかに、それはあなたの音楽における大きな特徴ですね。 マリア:ジャズの歴史のほとんどで、4本のトランペットが、トロンボーンが、サックスが同時に演奏する、もしくはブラスと何本かのサックスと組み合わせるといったパターンしかなかった。それとは対照的に、私はそういったセクションをバラバラにして、個人単位にしてる。「この人とこの人をミックスして、そこにアコーディオンを足せばこんな色になる。今度は対比でこの人を置いてみよう」というふうに。だからビッグバンドではあるけれど、ただのビッグバンドみたいには聞こえないわけ。 ―その一方で、『Winter Morning Walks』ではオーケストラのために(クラシック音楽的な)新曲を書いたわけですよね。それはあなたにとってどんな経験だったのでしょうか? マリア:テッド・クーザーの詩に出会い、恋に落ちたことが大きかった。従来の”詩のために書かれた音楽”の中にでは、言葉が音楽的でないというか、私には「歌詞じゃない」と思えるものが多かった。それで最初に、まずは音楽を乗せるのにふさわしい詩を探した。そしてあの詩を見つけた。テッド・クーザーはがんの治療中、毎朝早い時間に冬の散歩をし、詩を書いた。生きることを肯定する、美しく、魅力的な詩が100篇近くある。その中から私が心動かされ、言葉の音、詩の長さ、そして表現されている内容という観点から、音楽が書けそうなものを選んだわけ。偶然なんだけど、最初に依頼を受けてまず書いた曲は、今回日本で演奏する「Carlos Drummond de Andrade Stories」だったの。 ―音楽的な詩だけを選んだと。 マリア:そう。私は数少ないコラボレーションを除くと、ほぼ生涯ずっとインストゥルメンタル曲を書いてきた。だから言葉がある曲を書くとなった時、「どうしよう。曲を書くだけでも大変なのに、それに言葉を合わせなきゃならないなんて!」と、とても怖かった。でも実際やってみたら真逆で、すごく楽しかった。というのも言葉がリズムを与えてくれるから。言葉のリズムについていけば……それをしたがらないコンポーザーが多いけど、言葉にリズムを……なんだったらメロディまで決めさせちゃえばいい。例えば”Up and down”という言葉をリズムに乗せるには、既成のリズムに合わせようとするのではなく、その言葉本来のリズムに乗せるしかないわけでしょ? ”Walking by flashlight”だって同じ。その言葉に自然のリズムを決めてもらった。どれも大好きな詩ばかりだったので、その詩に対する”愛”を表現する曲を書きたかった。最初は大変だったけど、最終的にやればやるほど楽しくて仕方がないプロジェクトだった。 ―オーケストラという楽器は、あなたの音楽に何をもたらしてくれたと思いますか? マリア:どうかなぁ。今まで以上にspace(空間、余白)のある曲を書くようになれたのかも。というのも、オーケストラ用に書いた曲のうちの3曲を、後からバンドのために再編したんだけど、そうしたら突然、よりシンプルな曲になった。オーケストラ・パートに限らず、曲を書くこと自体がよりシンプルになったというか。「私はコンポーザー、自分は何をクリエイトしたいんだろう?」ではなく、その詩が持つ感情に寄り添う曲を書くようになれた。つまり自分を取り除き、曲のために曲を書くようになった。エゴに縛られない曲作りということ。 ―『Winter Morning Walks』にはドラマーがいませんよね。ブラジル音楽好きのあなたはリズムに特徴がある音楽を作ってきましたが、そんなあなたにとって、ドラムセットがないというのは大きなことではないかと思ったのですが。 マリア:『Winter Morning Walks』の曲はほぼフリータイム。中にはテンポの決まった曲もあるけれど、多くがルバート、つまり”自由な速さ”になってる。あなたの質問が的を得てるのは、東京のコンサートで演奏予定の「Drummond」で用いられているのはブラジルの詩だから。あの曲で私はブラジル音楽を通して、リズムのある曲を書きたかった。ブラジル音楽のテンポはカウンターポイント、カウンターラインによって決まることが多い。ショーロがいい例。動くメロディラインがリズムを生むので、ドラマーがいなくても、パンデイロだけでも、パンデイロさえなくても曲にはリズムがある。あの曲で私はオーケストラを使い、オーケストラのための作曲方法を利用し、まるでドラマーがいるかのようなテンポの曲を書こうとした。でもクラシックの音楽家はたっぷり時間をとることで自己表現する傾向があるので、そんな彼らにテンポ通り、いかにもドラマーがいるかのように演奏させるのは大変で難しかったけどね。