日本はなぜ中国にナメられるのか…? 「弱腰」すぎる日本の外務省の「驚くべき態度」
中国の呉江浩(ご・こうこう)駐日大使の「火の中」発言は日本側の反応を試したものだ。日本政府が何も言わなければ足もとを見られるだけでなく、中国が台湾に侵攻しても日本は動かないと侮られるおそれがある。 【写真】「日本のどこがダメなのか?」に対する中国ネット民の驚きの回答 「日本が台湾の独立に加担すれば『日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる』」 呉江浩駐日大使のこの「火の中」発言は「日本人をぶっ殺す」と言っているのに等しい。この発言に対して日本側は抗議だけで終わらせたが、国外退去処分という選択もあった。それが世界の外交の常識であり、国際的にもスタンダードな対応なのだ。 ※本記事は、『歴史戦と外交戦 日本とオーストラリアの近現代史が教えてくれる パブリック・ディプロマシーとインテリジェンス』(ワニブックス刊)より一部を抜粋編集したものです。
「火の中」発言
山岡鉄秀(以下、山岡):中国の外交官や政治家たちが海外で行っている戦狼外交的な発言は、相手国や世界に向けて発信しているのと同時に、本国の習近平に喜んでもらうために発信しているところがあります。だから、発言もどんどんエスカレートして、もはや暴言レベルのものまで出てくるようになりました。 2024年5月20日には、中国の呉江浩駐日大使が台湾情勢をめぐり、日本が台湾の独立に加担すれば「日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」というとんでもない暴言を吐いています。 このような発言をした外交官に対しては、普通の国なら「ペルソナ・ノン・グラータ」(国外退去処分。原義は「好ましくない人物」)を発動してもおかしくありません。しかし、日本側は抗議だけで終わらせてしまいました。しかも、当初は担当課長が在日中国大使館の公使参事官に電話で抗議しただけです。 山上信吾(以下、山上):世界標準に照らしてあり得ない対応です。のちに外務省は、いつも引っ込み思案の岡野正敬事務次官が呉大使に「極めて不適切だ」と直接抗議したことを明らかにしましたが、それだけでは不十分です。 政治レベルでも強く抗議しなければいけません。「大臣からもひと言お願いします」と進言するのが外務官僚としてのあるべき姿です。つまり、外相か外務事務次官が呉大使を外務省に呼びつけて厳重に抗議したうえで、謝罪と発言の撤回を強く求める。 それでも改まらなければ、この大使は日中間の発展のためにならない「ペルソナ・ノン・グラータ」であるとして、日本から追放し、本国へ送り返す。それが世界の外交では常識であり、国際的にスタンダードな対応です。おそらく、ソウルで同月27日に日中韓サミットが開かれる直前だったから、中国の機嫌を損ねたくなかったのでしょう。 呉大使の「火の中」発言は「日本人をぶっ殺す」と言っているに等しいものです。「火」は台湾独立を阻止するための中国の武力行使を指します。ということは、呉大使の発言は、その「火」に日本人が巻き込まれて殺されるという意味です。大東亜戦争で戦火を経験した日本人に対して、東京大空襲や広島、長崎の原爆を想起させる言葉だといえます。 呉大使は日本人に与えるそうした意味合いを十分認識しながら、鳩山由紀夫元首相やメディアの前であえて扇情的な言葉を使ったと理解すべきです。私的な会合で非公式に私見をもらしたのとは、わけが違います。 マスコミを通じて日本全体に伝わることを意識して発言したところに問題の根深さを感じます(「火の中」発言は日本の政治家や学者を在日中国大使館に招いて開かれた座談会で呉大使から発せられた。この座談会には鳩山由紀夫元首相や社民党の福島瑞穂党首なども参加)。 山上:中国の外交官が同様の問題発言をした例は過去にもありますが、この「火の中」発言は日本人一般に向けられている点で大きく異なります。駐日大使が「日本人をぶっ殺す」という意味を含んだ発言をするなど、決して看過してはいけません。私は40年間の外交官人生でこれほど過激な発言は聞いたことがありません。 私が危惧するのは、福岡県で2008年12月、初の日中韓サミットが開かれた時と状況が重なっているように見えることです。当時はサミットの5日前に中国が初めて海洋調査船を尖閣諸島沖の日本領海に送り込みました。史上初めて領海に侵入してきたのです。「日本はサミットを壊したくないから、文句を言わないだろう」とみて、日本側の反応を試したわけです。 日本政府がダンマリを決め込めば、中国側は「日本相手ならこれくらいのことをしても大丈夫」と思うようになり、中国の軍事的冒険主義のハードルが下がりかねません。要するに、抑止力が効かなくなるのです。 足もとを見られるだけでなく、自分たちが台湾に侵攻しても日本は動かないと侮られるおそれすらあります。そうなると、日本や国際社会が重視する「台湾海峡の平和と安定」も維持できません。怒るべき時に怒るのは外交の要諦であり、それが抑止力になるのです。