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コロナ「インフォデミック」で「情報の真価」を見極めるために

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   世界を不況に追い込み、人々の生活を一変させている新型コロナウイルスのパンデミック。この感染症の脅威を増幅しているのが、情報の氾濫、「インフォデミック」だ。  未知のウイルスの特性や感染状況、その影響などが文字通り刻一刻と更新され、ときには数日前まで「正解」だった情報が「間違い」になる。そうした本質的な不透明要因に、発信者の政治的意図や利益誘導、国家間の情報戦が入り混じり、受け手は「どの情報を信じれば良いのかわからない」という不安がかきたてられる。  日本の感染の第1波は下火になりつつあるが、インフォデミックとの闘いはまだ続く。それは大きなストレスだ。  だが、私はここに一筋の光明も見出したい。今回のコロナ・ショックを通じて、医学的な根拠、エビデンスに基づいた情報への人々の感度が高まるのではないかという期待だ。  実は「コロナ前」から、そうした予兆はあった。3冊の本を取り上げて、潮目の変化について考えてみたい。この新しい潮流を、私は「エビデンスの逆襲」と呼んでいる。 ■専門家離れした「過激」なタイトル  話題の書、『世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療』(ダイヤモンド社、以下『最高のがん治療』)は、第一線の医師・研究者3人による共著だ。津川友介氏は米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)助教授で医療データ分析の専門家、勝俣範之氏は日本医科大学教授の職にある抗がん剤の権威、大須賀覚氏は米アラバマ大学バーミンガム校助教授として新薬研究に携わっている。  本書の画期的な点は「過激」なタイトルだ。  医療分野に限らず、まともな専門家は著書に穏当なタイトルをつけるのが常だ。「がん治療」につく枕詞は踏み込んでも「最先端」くらいが限界で、「最高」というワーディングは本来、あり得ない選択だ。  抑制の利いた書名が好まれるのは、プロとしての誠意のほかに、「村」の住民の視線のプレッシャーが影響している。実際、『最高のがん治療』の発売直後、ツイッター上である専門医が、  〈内容は良いがタイトルはいただけない。『最高』と軽々に言い切って良いのか〉  と苦言を呈していた。  3氏は当然、そんな反発は百も承知で「最高」を選んでいる。理由は本書の「おわりに」の小題が雄弁に物語る。曰く、  〈この本は「情報のワクチン」である〉  虚偽の情報につられてトンデモ医療やインチキ商法に流れるのを予防するワクチン。 それが執筆陣の意図であり、本書の使命だ。  一歩引いた私の立場からは、これは「負け戦の失地回復」を賭けた逆襲に映る。  どういう意味か。順に説明しよう。 ■ゲリラに押される正規軍  まず『最高のがん治療』の内容を駆け足で紹介しておこう。  主張は極めてシンプルで、  「手術や放射線治療、抗がん剤といった保険が適用される『標準治療』が最善の治療だ」  という事実に尽きる。これを裏付けるエビデンスがこれでもかと示される。  正直、このあたりは私のようにがんを患ったことがなく、もともとエビデンスベースの医療しか信用しないような人間には、やや冗長にすら感じる。データにデータを重ね、  「標準治療以外は効果が立証されていないから保険適用外なのだ」  と説かれる。  無論、最新の知見に学ぶところはある。たとえば、初期から緩和ケアを取り入れることで延命効果とQOL(生活の質)の大幅な向上が期待できるというファクトには目を見開かされた。  とはいえ、やはり、「当事者」ではない私は「そこまで念を押さなくても……」という印象を受けるのは否めない。  では、本書が退屈かといえば、とんでもない。「情報のワクチン」という側面によって、霧が晴れ、胸がすくような読書体験が待っている。そうした文脈でとらえれば、「そこまでやるか」というエビデンスの洪水も、本気度がにじむ「読みどころ」となる。コロナ禍のインフォデミックへの備えとして、「どう情報をふるいにかけるか」を学ぶ普遍的な価値も高い。  さきほど私は、本書の刊行を、「『負け戦の失地回復』を賭けた逆襲」と位置づけた。 負け戦とは、医療分野の情報戦で、ゲリラ=トンデモ情報の跋扈の前に、正規軍=標準治療を推進する側が押されまくっている惨状を意味する。  たとえばコロナを巡っては、ネット上に「27度のお湯を飲めばウイルスを殺せる」「日光浴すれば感染しない」といった誤情報があふれ、「これを食べれば予防できる」といった商法や「コロナ自体が生物兵器だ」といった陰謀論も出回っている。  こうしたデマやインチキ療法が幅を利かせるのは、コロナという未知の病に特異な風景ではない。書店に行けば、あらゆる病気について、「これだけで治る」「医者の言いなりは命取りになる」と断定するデタラメな書籍が平積みされ、まともな本は棚の隅に追いやられている。  ネットの広告や情報サイトはさらに酷い。『最高のがん治療』のなかでも、ネット検索上位のサイトで正確なものは1割しかなかったという検証がなされている。  トンデモ情報は昔からあったが、その勢いをネットの普及が加速させてしまったのは否めない。不安にかられてネット情報をあさるうちに心身を病む状態には、「サイバー心気症」(cyberchondria)という名前すらついている。  一昔前は、一人暮らしを始めるときや結婚したとき、「家庭の医学」といったタイトルの分厚い1冊を常備薬と一緒にそろえ、何か不調を感じれば、まずは手堅い書籍にあたったものだった。  今は手元のスマホで素早く「最新情報」がみつかる。そこに情報過多と誤情報の落とし穴が待っている。  『最高のがん治療』第5章〈「トンデモ医療」はどうやって見分けるのか〉では、  「教育レベルや収入が高い人ほど、怪しいがん治療法にだまされやすい」  という皮肉な事実を紹介している。自力で情報収集にいそしむ人ほど、それを過大評価し、高額な治療法を「普通では受けられない特別なケア」と勘違いしてしまう。  ここまで書けばおわかりだろう。  専門家である3氏が新著にあえて「過激」なタイトルをつけたのは、この情報戦に向けた武装なのだ。 ■実践的な食事の改善法  『最高のがん治療』と同様に、エビデンスに基づかない情報をまき散らすゲリラと「同じ土俵」で戦う覚悟を決めた本が、2018年に出た『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』(東洋経済新報社、以下『究極の食事』)だ。著者は『最高のがん治療』の共著者の1人、津川氏。この「究極」も、あり得ないほど挑戦的なワーディングだ。  この『究極の食事』は、私の気持ちをとても軽くしてくれた1冊だ。  『究極の食事』によれば、エビデンスに基づいて「体に良い」と断言できる食べ物は5つしかない。魚、野菜と果物、精製されていない「茶色い炭水化物」、オリーブオイル、ナッツ類。逆に「体に悪い」とはっきりわかっているのは、精製された「白い炭水化物」、赤い肉(特に加工肉)、バターなどの飽和脂肪酸の3つ。  この8つだけ覚えておけば、「〇〇を食べれば血液がサラサラに」といった真偽不明の情報(こちらはテレビ番組発が多い印象)に流される心配はなくなる。「果汁100%でもジュースにしてしまうと果物をとるメリットはなくなる」といった知識は極めて有益で、実際に食生活に取り入れている。  詳しい内容は本書に譲るが、実践的な食事の改善法が徹底的にエビデンスベースで示される。  同時に、いかに世の中にデタラメな情報があふれているか、人が簡単にそれに騙されるのはなぜか、そうした情報から身を守るために何が必要かという情報戦への身構えも丁寧に説かれている。  これぞ、理想的な「情報のワクチン」ではないだろうか。 ■ステロイドを「悪魔の薬」に  同じように「過激」なタイトルの1冊が、京都大学特定准教授で皮膚科専門医の大塚篤司氏による『世界最高のエビデンスでやさしく伝える 最新医学で一番正しいアトピーの治し方』(ダイヤモンド社、以下『正しいアトピーの治し方』)だ。この「世界最高」「最新」「一番正しい」というあまりの完全武装ぶりに、初見では「そこまでやるか」と思わず笑ってしまった。  だが、この本が逆襲を試みるアトピー治療の「負け戦」の惨状は、笑いごとではない。「そこまでやる」しかないほど、正規軍はゲリラに押されまくっている。  アトピー治療を巡る情報戦、特にステロイドを「悪魔の薬」に仕立て上げる一連のアトピービジネス問題に、私は「元アトピっ子」として長年強い関心を持っている。  私自身はステロイドを含む標準治療のおかげで中学に上がるころから寛解して、その後ほぼ完治したが、大人になってからも肌のトラブルには悩まされ、ときにステロイドや免疫を抑制するタイプの皮膚炎治療薬「プロトピック」のお世話になってきた。  アトピー性皮膚炎の標準治療は、様々な民間療法やインチキ商法との戦いにさらされており、ステロイド悪魔化の波は「プロトピック」にも及んでいる。  残念ながら、アトピーは難しい病気で、標準治療でもなかなか良くならないケースがある。医者と患者のコミュニケーション不足がゲリラ側の付け入るすきになっている例もあり、温泉療法など高額な民間療法は大きな「市場」を作っている。  『正しいアトピーの治し方』で印象的なのは、懺悔とでも表現するしかない大塚氏の無念の思いの吐露だ。一部の患者が「脱ステロイド」に走る現状について、医療提供者側の責任や構造問題を指摘するとともに、患者とアトピーの子をもった親の心理にまで踏み込んで、問題解決につなげようという熱意があふれている。 ■「言論の自由」という穴  医療分野の情報戦でゲリラを利する武器の1つは「言論の自由」だ。書籍やネット記事の形なら、効能の表記に厳しい薬機法の網を潜り抜け、デタラメが拡散できる。  これに対抗するには「村」の白眼視を引き受け、泥をかぶる覚悟で踏み込んだタイトルをつけて書籍を出し、SNS上でも情報発信してデマを潰す不断の営みが求められる。  これは負担の重い作業であり、個人攻撃を受けるリスクもはらむ。「村」の視線も必ずしも好意的ではない。それでも、今回紹介した3冊の本の著者らはツイッターなどを駆使して情報戦を挑んでいる。  ここからは「外野」から見ている私の想像でしかないが、損得勘定で言えば割に合わない活動にエネルギーを割く医療関係者には、「ここからはもう後退できない」という強い危機感と、ゲリラの跳梁跋扈を許す医療不信が放置されてきたことへの贖罪の気持ちがあるのではないだろうか。  かつて医療の現場では、医師は絶対的な権威であり、患者側は「先生」の指示に従うという明確な上下関係があった。今もこうした構図は大きくは変わっていない。  だが、ネットが提供する情報の氾濫が権威への疑義を生む時代にあって、患者が耳に心地よい情報に流されたり、藁にもすがる思いでデタラメな治療法に頼ったりするケースは増えている。  これに対して、医療提供者側や専門家たちが真摯に対策を取ってきただろうか。言論に携わる者の1人として、メディアのあり方にも反省すべき点は多いと考えている。 ■カギは未曽有の危機  紹介した3冊の本を読めば一目瞭然だが、正規軍側はエビデンスという強力な武器を持っている。丹念にデータと分析を読めば、情報戦において正規軍が負ける要素などないように見える。  そう、これは本来、「勝てる戦」なのだ。  それでも、はっきりと多数の健康被害という見過ごせない犠牲が出るほど、正規軍側は劣勢に立たされている。  その最たる例が、ワクチンを巡る情報戦だろう。子宮頸がんワクチンや子どもが受けるべき各種の予防接種について、ネットには不安や不信を煽る言動があふれ、助かるはずの命が脅威にさらされている。  だからこそ、「情報のワクチン」が担う役割は大きい。リアルなワクチンの接種の前に「情報のワクチン」を広めないと、届くべき人たちに医療を届けられない現実がある。  劣勢を挽回するのが困難なのは、どんな戦いでも同じだ。「エビデンスの逆襲」も持久戦を覚悟せざるを得ないだろう。  私はこの戦いの帰趨を左右する重要なファクターの1つは、コロナを巡る言論状況だと考えている。  ワクチンという側面だけ取り出しても、これほど広く一般の関心が高まったのはエイズの流行以来であり、社会的なインパクトはエイズをはるかにしのぐ。治療や感染拡大の抑制についても、エビデンスに基づく情報へのニーズは高い。  一方で、前述したとおり、不安に付け込むデマや、「BCGの接種に予防効果がある」といった検証不十分な情報に踊らされる状況も生まれてもいる。厳しい行動変容を提案し、感染抑制に貢献した専門家会議のメンバーに対して攻撃的な言説が広がっているのも、医療不信の根深さを思わせる気がかりな動きだ。  コロナのパンデミックを乗り越えたとき、世界はインフォデミックにも、より賢明に対処できるようになるだろうか。  カギは、未曽有の危機を通して、我々が医療情報を消化する正しい備えを身に着けられるかが握っている。コロナに有効なワクチンの開発にはまだまだ時間がかかりそうだが、その前に「情報のワクチン」の幅広い接種が求められている。  

高井浩章

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