猪木ーアリ戦 40年目の公開検証試合が伝えたものとは?
試合後、モヨは「ルールは来日してから知り、直前に確認することになったが、互いにルールを守ってできたと思う。田村は強かったしキックでダウンを奪われないように警戒した。右肘にキックはもらったが、ボクサーだからキックは見えるし、懐に入られないように間合いを取りながら試合をした」と勝因を説明した。 両者の体重差は30キロほどあった。PRIDEや総合のリングで名勝負を繰り返してきた田村のキャリアと、ボクサーとしては、負け越しているモヨとの力関係からすれば大丈夫と、主催者は踏んだのかもしれなかったが「大が小を制す」の格闘技の原則から言えば無茶なマッチメークだった。 元ボクサーのモヨは「体重差は関係ない。田村はフィジカルが強かったし、その分、身軽だった。本当なら2ラウンドで決着がついていた試合を彼はうまくダメージを減らしながら持ちこたえたじゃないか」と否定したが、もし体格が同程度なら、田村のミドルキックは相手にダメージを与えていただろうし、パワーに任せての組み付きも可能だったのかもしれない。また田村には骨折が完治していないというハンディもあった。 それでも40年目の公開検証試合として改めて判明したのは、ルールでプロレスラーの長所をがんじからめにすれば、ボクサーのパンチという飛び道具が、絶対有利ということ。進化してきた総合の戦い方は、打撃→グラップリング、打撃→ペース支配が主流だが、その打撃のひとつであるパンチを一方だけが認められ、しかも、グラップリングの攻防はほぼなしというのが、1976年の猪木ーアリルールなのだから、猪木氏が始めから立って戦っていれば、この日の田村のように、不利な展開に追い込まれた可能性が高い。 興行としてのエンターテイメントを追求するならば、猪木は田村のように、立って戦うべきだったが、一般紙までが真剣勝負の異種格闘技と位置づけて取りあげたのだから、勝ち負けにこだわると、あの寝転がったままの戦い方しかなかったのである。 谷川貞治・広報部長も、「ボクサーは普段下半身を鍛えていないので、そこを攻めると簡単に試合が決まってしまう。公平さを喫して、猪木ーアリルールになった。自然発生的に猪木ーアリ状態になったのは、さすがだと思ったが、そうしなければ、打開することができなかったのかもしれない。 解説の内藤大助さん(元WBC世界フライ級王者)は、ボクサーが強いことがわかったでしょう。と喜んでいた。バンテージでガチガチに固めたパンチは、グローブをつけたほうが凶器になるらしい。ほとんどの人は、田村が簡単に勝つと思っていただろうが、テイクダウンも取れなかった」と総括した。 異種格闘技戦というくくりで、バレーボールとバスケットが、試合するようなものは、やはり永遠にまじわらないのである。異種格闘技戦が、UFCに代表されるような総合格闘技に淘汰されていった時代の流れも、それがファンの支持を受けているのも納得である。