親に放置され、犬と海が話し相手だった...名監督リュック・ベッソンの「孤独な幼少期」
『グラン・ブルー』『レオン』『フィフス・エレメント』など、数々のヒット作を生み出してきたリュック・ベッソン。両親の愛に飢えた幼少期の親友は、同年代の子どもたちではなく、犬とタコ、そしてウツボだった――。映画界の名匠リュック・ベッソンを作り上げた、その孤独な幼少期をのぞいてみたい。 ※本稿は、リュック・ベッソン著『恐るべき子ども リュック・ベッソン「グラン・ブルー」までの物語』(&books/辰巳出版)を一部抜粋・編集したものです。
友だちは犬、タコ、ウツボ...ひとりぼっちの幼少期
ぼくは相変わらずひとりぼっちだった。両親から与えられた、多少なりとも親らしい注意は「道路を渡る時は、左右をよく見ること」、それだけだった。 まともな親なら、もっとほかにもいろいろ気を配ってくれるだろうに。とにかく大人たちは新しい仕事で手いっぱいで、子どものことなどそっちのけだった。でも、ぼくは気にしなかった。孤独なんて、そんなものは、とっくのとうに慣れていたからだ。 そのうちに、ぼくにも生き物の友だちができた。バカンス村の支配人のユベールさんが飼っている雑種犬で、名前をソクラテスという。 ソクラテスもたぶん孤独だったのだろう。ぼくたちはたちまち仲良しになり、それからはいつでもどこでも一緒だった。ともに遊び、ともに食べ、ともに眠り、ぼくはソクラテスとしか話をしなかった。 これは大袈裟ではない。ぼくが誰とも話さなかったので、さすがに母が心配したくらいだ。 このときの母に、事態の重大さがわかっていたかどうか。ぼくはとうに言葉を話せる年齢だったのに、親に放置され、海と犬としか話をしない子どもになっていたのだ。 ソクラテスの次は、タコがぼくの親友となった。タコは二本の触手でぼくの腕に絡みつき、何度も色を変えたが、最後には、両目の間を触らせてくれた。そっと撫でてやると、とても喜んでいるふうだった。これが猫だったら、ごろごろと喉を鳴らすところだろう。 それからしばらくして、ぼくはタコに会いに行く途中でウツボを見つけた。ぼくは腕を伸ばし、ウツボの顎の下に手を入れた。ウツボはじっとしていた。それから、そっと撫でてみた。こちらの皮膚もとても柔らかい。 少しずつウツボは穴から出てきて、だんだん両手で触れるようになった。そして、ついにある日、向こうが気づかないうちに、ぼくはウツボのことをすっかり穴から出してしまった。 ぼくは二人が互いに焼きもちを焼かないように、午前中はウツボのところへ行き、午後になったらタコに会いに行くことにした。