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橋上秀樹氏、1000勝達成・楽天への思い語る「38勝しかできないチームが初CSここまで来れたのかと」…ロングインタビュー

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スポーツ報知

 2007年~09年まで楽天・野村克也監督のもとでヘッドコーチを務めた橋上秀樹氏(54)=BC新潟総合コーチ=がこのほど、スポーツ報知のインタビューに応じた。橋上氏はコーチとして05年の球団創設期から初のクライマックスシリーズ(CS)進出までチームを支えた。また巨人のコーチだった13年には日本シリーズで楽天と戦い、楽天の日本一を目の前で見た。球団の様々な“歴史的瞬間”に立ち会った同氏が、球団通算1000勝に到達した楽天への思いなどを語った。(取材・構成=高橋 宏磁)  ―楽天が22日のロッテ戦(楽天生命パーク)に12―4で勝利し、球団通算1000勝に到達した。率直な感想は?  「球団創設時を知る人間としては、非常に感慨深いものがありますね。1年目は年間で38勝しかできないチームでしたから」  ―改めて球団創設時を振り返ると?  「04年11月(の秋季練習で)藤井寺球場で新球団として初めて全体練習を行いました。全員が学生のような真っ白なユニホーム。衝撃を受けましたね。始動の日にユニホームすら間に合わなかった。今までのプロ野球のチームと比べて異質なものがありましたね。ある意味、新鮮ではありましたけど改めて新規参入のチームだと実感しましたね」  ―05年2月のキャンプの頃は、どんな思いでした?  「正直に言うと、(将来を)思い描けなかった。どうなるか分からなかった。久米島キャンプでは、1、2軍の振り分けもなかった。全員が1つのグラウンドで練習しました。室内練習場も狭くて、限られた環境の中なので、効率も悪かった。その時点で、なかなか大変だなと思いました。戦力的にも厳しかったのは間違いなかった」  ―1年目はダントツの最下位だった。  「1年目はチームとしてできあがっていなかった。まさか田尾(安志)監督が1年で変わるのは想像できなかったですけど、プロとして、結果に対して責任は取らないといけないと痛感しましたね」  ―2年目からは野村監督が指揮を執った。07年から09年まではヘッドコーチとして、野村監督を支えた。改めて指揮官との思い出は?  「報道陣に対して話している印象が強いのかもしれませんが、(報道陣と)話をしながらも、しっかりと選手の練習には目を光らせていましたね」  ―特に野村監督が、厳しく指導していた選手は?  「渡辺直人(現兼任コーチ)ですね。脇役の選手であるために、どうすべきなのか。私が記憶している中では、打撃練習では直人に対して一番注文が多かった。彼の場合はバットのヘッドが下がり、フライが上がることが多かった。それではダメだと。進塁打を打つにしても、まずはゴロを打つことが重要。そのためにどうするのか。キーマンとして考えた1人だったと思いますよ」  ―コーチに対しても、野村監督は要求が多かった?  「ほとんどの監督さんは、打撃のことは打撃コーチ、投手のことは投手コーチに聞きます。ただ野村監督は全てのことをヘッドコーチである自分に尋ねてこられた。野村監督にとっては、ヘッドコーチはそういう立場だった。『全てをとりまとめて、おまえが答えるようにしておけ』と言われていました」  ―毎日、味方だけでなく、相手チームの全選手の情報を詳細に調べていた?  「前もって準備しないと答えられないことがたくさんありましたね。たとえばこちらの攻撃時。カウントごとに(相手投手の)直球の確率、変化球の確率を聞かれましたね。そして、それぞれの球種のストライク率も。すぐに答えられるようにしていました」  ―初のCS進出を決めた09年の裏には、まさに「ID野球」があった?  「当時、他の球団と比べてもデータ面では進んでいたと思いますよ。資料室もありましたからね。最初の頃はあえて、選手のロッカーでパソコンで相手選手の映像やデータなどを見るようにしていました。頭ごなしにこちらが『見ろ』と言っても、中々頭には入らない。強制するのではなく、自然と興味を持つ形でやろうと思いました。その方がうまく選手に入っていく」  ―楽天には05~09年までと15年、計6シーズン在籍した。その中でのベストゲームを選ぶとしたら?  「やっぱり2009年ですよね。2位で、球団として初めてCSに出場できた。あのチームがここまで来られたのかと、感慨深いものがありました」  ―そのCSの中から、最も印象に残っている試合を挙げるとしたら?  「ベストゲームと言っていいのか分からないけど、日本ハムに4―9で敗れてCS敗退が決まった(10月24日の第2ステージ)第4戦(札幌D)ですね」  ―その理由は?  「第2戦で8回を完投した岩隈(久志)が(第4戦で)『行かせてください』と言ってきた。あれほど、周囲から『チームのために一生懸命やらない選手』と言われていた岩隈が、2点ビハインドの8回にリリーフで登板した。あの場面は、チームが変わってきたことを象徴していたと思う。勝ち負け以上に、成長したことを感じるシーンでした。エースとしての気持ちの持ち方は、田中(将大)に対してもいい影響を与えたと思いますよ。その後につながっていると思いたいですね」  ―13年には、巨人のコーチとして楽天と日本シリーズを戦った。日本一を逃した時の心境は?  「第7戦で楽天が勝って日本一になった。一塁側のベンチから、星野(仙一)監督が胴上げされているのを見ていました。我がことのように、心の中で拍手を送っていました。ちょうどあの日は11月3日。(東日本大震災が襲った)3月11日の逆だったんです。東北の地で楽天が日本一になったのは、本当にいいことだと感じました。私も6年間、東北でお世話になったので」  ◆橋上 秀樹(はしがみ・ひでき)1965年11月4日、千葉県船橋市生まれ、54歳。東京・安田学園から83年ドラフト3位でヤクルト入り。入団後、捕手から外野手に転向。日本ハム、阪神を経て2000年引退。05年の楽天創設時に2軍守備走塁コーチとなり、同年途中から1軍外野守備走塁コーチ。07~09年までヘッドコーチ。12年からは巨人で戦略コーチ、打撃コーチ。13年の第3回WBCでは日本代表戦略コーチ。15年は楽天ヘッドコーチ。現在はBC新潟総合コーチ。

報知新聞社

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