「グループにとって悪影響だった」――山本彩が振り返るNMB48、一人で立ち向かった「恐怖」と「26歳の開花」
勉学に励む生活を送りながらも心にくすぶりを抱えていたある日、母からあるオーディションを勧められる。「これが最後」と覚悟を決めて臨んだオーディションで、山本は再び未来への切符をつかむ。2010年10月、アイドルグループ・NMB48の一員として再始動する。 「『当たって砕けろ!』精神でした。挫折を経験したことで、大胆な行動に移せた。そう思うと挫折も良い経験やったなぁと。NMB48に入らず音楽と無縁の道を歩いていたら、バンドのころの思い出はただの“黒歴史”になっていたでしょうから」 NMB48のホームページのプロフィールで、「将来の夢」の欄に山本は「歌い続けること」と記した。
「私がグループに居続けることが悪影響」
バンド時代に培ったリーダーシップ、音楽スクールで習得したダンス、そして歌唱力を武器に、山本はデビューと同時に「違い」を見せつける。なかでも2012年、初のソロ曲『ジャングルジム』で弾き語りを行い、大きなギターを抱えて歌う山本の姿は、48グループのアイコンの一つとなった。 そんなある日、プロデューサー・秋元康の「山本彩が作詞・作曲した曲、聴きたいですよねえ?」というSNS投稿を目にする。すぐに曲を作り、直接秋元に渡した。 「普段は『石橋をたたきまくって渡る』ほど慎重な性格なのに、音楽のこととなると大胆な行動に移せるんです」
その大胆な行動は実を結び、2016年10月、ファーストアルバム『Rainbow』で念願のソロシンガーデビューを果たす。翌年にはセカンドアルバム『identity』をリリース。グループにいながら自分の夢を着実にかなえ続けていく山本の胸に、ある思いが去来するようになる。 「2016、17年ごろになると、私がグループに居続けることが、みんなに悪影響を与えているんだと感じるようになりました」 このころ、NMB48は「いつまで山本彩に頼るのか?」というテーゼを掲げていた。山本の人気に頼り続けるだけでは今以上に前に進めないという思い。山本の存在は頼りに“なりすぎた”のだ。そして2018年の卒業に至る。 「ライブやメディアを通して、メンバーそれぞれが『自分が引っ張る!』という気持ちを明確に見せ始めてくれたとき、『私ができる最後の貢献は卒業することだ』と、安心した思いで去ることを決意できました」