「鬼滅の刃」が終幕を迎えてもヒットが続く理由 コンテンツデリバリーが変えた「終わるコンテンツ」ヒットの法則
ライターというのは芸人のようなところがある。原稿を世に出してそれがウケると次につながる。そうするとプロとしては、毎回「仕上がった」ネタを提示するのが本来の形かと思う。 禰豆子の「箱」 が、このコラムでは、ごくまれに「自分でもまだ仕上がりきってない」と思うネタを公開することもある。今回はそんな話だ。 今年の大ヒットといえば『鬼滅の刃』。人気の最中に週刊少年ジャンプでの連載が終了し、「連載期間は長いのか短いのか」といった論争が生まれたりもした。 ただ現実問題として、「いつ終わるか分からない作品」への評価が明確に変わってきている、というのも事実だと思う。 これはなぜ生まれているのだろうか? そこに筆者は「地上波テレビ放送の位置付けの変化」がある、と思っている。まだ仮説の域を出ない部分はあるが(すなわち「仕上がっていない」のだ)、全体を俯瞰すると、ちょっと面白い話なのは間違いない。 そこで、コンテンツ流通論としての「コンテンツの長さと消費価値」について、まず第一段階として、ここでまとめてみたいと思う。
『鬼滅』が終わってもヒットした理由を考える
『鬼滅の刃』は理想的なエンディングを迎えた。「雑誌の側が引き伸ばさず、うまく終わることの価値を理解したのだ」という話が語られることが多いのだが、その本質はなんなのだろうか? 終わるべき時に終わることができず、終わり方がしまらない作品は枚挙にいとまがない。大ヒット作品でもそのエンディングを知る人は意外と少なく、「勢いがなくなるように終わる」ものの方が多いのは事実だ。そうでなかったことが『鬼滅の刃』のような作品にとって幸せなことであったのは間違いない。 ここに一つの疑問が浮かぶ。 そもそも、ビジネス的に見たとき、「ストーリーの終わり」とはなんなのだろうか? 過去の作品にとっては「なかなか終わらない」ことに大きな価値があった。だが今は、ストーリーが終わったとしても、それが直接的にビジネスの終息を意味しているわけではない。 商業的な意味で重要なことは、1つのコンテンツからできる限り長く、大きな収益が得られるようにすることだ。そのためには、コンテンツへに注目(=人気)が集まり続ける必要がある。 実際、『鬼滅』はストーリーが終わってもちゃんとビジネスが続いている。ファンはいて、キャラクターグッズも売れる。 なぜ過去には、ストーリーは続かないといけなかったのだろうか? そこで考えるべきは、「大ヒットコンテンツにおけるテレビの役割」だ。