名車と振り返る「暗い過去」 今はなき英国の自動車メーカー 27選
活動停止したメーカー、ブランドを振り返る
クルマ作りは難しい。利益を生むクルマ作りはもっと難しい。その証拠に、廃業した英国の自動車メーカーをここに紹介しよう。 【写真】四輪メーカーとして名を馳せたトライアンフの名車【トライアンフTR6を写真で見る】 (17枚) 自動車の黎明期に自転車メーカーから転身した会社も多い。しかし、生易しい挑戦ではなかった。20世紀初頭のクルマ作りは、20世紀末のインターネットビジネスに似ている。挑戦者は多かったが、生き残ったのは適応力のある一部の会社だけだった。 今回は、生き残ることはできなかったものの、優れた製品やアイデアを世に送り出した英国の興味深い企業を紹介しよう。四輪事業から撤退したが、二輪メーカーとして名を残しているトライアンフのような会社も取り上げる。
アラード(Allard)
シドニー・アラード氏が設立したアラードは、1946年から1957年の間に約2000台のクルマを生産した。その多くは米国製V8エンジンを積んだスポーツカーであるが、セダンも数多く生産している。 しかし、さまざまなモデルを揃えていたにもかかわらず、自動車業界の方向性を読み誤ってしまった。同社最後のモデルである2人乗りの「パームビーチ」は、技術面や走行性能において競合他社より1年遅れていたと言われている。アラードは1957年に倒産した。 写真:アラードM1(1948年)
アルヴィス(Alvis)
全盛期には高品質のスポーツカーを生産していたアルヴィス。平凡なセダンも輩出したが、クーペやロードスターのTCからTFシリーズは見事な幕引きとなった。 1965年にローバーに買収され、2年後に自動車生産を終了したアルヴィスは、軍用車両メーカーに転身。2004年には英国の軍需企業BAEシステムズに買収された。
オースチン(Austin)
オースチンは83にわたる歴史のほとんどの期間、信頼性は高いが、退屈なファミリーカーも多く生産していた。しかし、2つの画期的なデザインも生み出している。1922年のオースチン・セブンは、多くの英国人が手にすることになった低価格車であり、1959年のオースチン・ミニは小型車のデザインに革命をもたらした。 ミニは、1100と1800という大型のモデルも販売されており、いずれもアレック・イシゴニス氏の優れた作品である。いずれも大ヒット商品となったが、1973年に発売された1100の後継車がオースチンの運命を決定づけた。欧州向けに設計されたはずのアレグロは、欧州で受け入れられず、英国でもそれほど売れなかった。 この時点で、オースチンはブリティッシュ・レイランド(BL)の量産車部門に組み込まれており、同社はなんとしても同部門を復活させようと必死だった。1980年に大成功を収めたメトロによって、その復活はほぼ実現したかに見えたが、後継車であるマエストロとモンテゴの不格好なデザインによって、せっかくの好印象は台無しになってしまった。オースチンという名称は1988年に廃止された。 写真:1930年代のオースチン・セブン