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菅義偉氏は高校卒業後、板橋の段ボール工場で働いていた。「令和おじさん」の知られざる青春

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ハフポスト日本版

8月28日に辞任表明した安倍晋三首相の後任として、にわかに名前が浮上してきたのが菅義偉(すが・よしひで)氏だ。 2012年12月の第二次安倍内閣の発足に伴って官房長官に就任。以後、7年8カ月にわたって安倍首相を支えてきた。官房長官の在任期間としては最長記録だ。「令和」の元号を記者会見で発表した姿から「令和おじさん」とも呼ばれた。 そんな菅氏のことを、私たちはどれだけ知っているだろうか。安倍首相の有能な参謀として、日々の記者会見をそつなくこなす姿は日常的に見ているが、その人となりは意外と知られていない。 菅氏は秋田県のイチゴ農家の長男。世襲が多い自民党幹部の中では珍しく「叩き上げ」の政治家だ。この記事では、菅氏が政治家になるまでの歩みを追ってみよう。(ハフポスト日本版・安藤健二)

豪雪地帯のイチゴ農家に生まれて

菅氏は1948年12月6日、秋田県秋ノ宮村(現・湯沢市)に生まれた。県の内陸部にある豪雪地帯だ。 「総理の影 菅義偉の正体」(小学館)によると、父親の菅和三郎さん(故人)は戦前、南満州鉄道の職員だった。終戦とともに郷里の秋ノ宮村に引き揚げた。 「これからは、米だけでは食っていけない」と、和三郎さんはイチゴの栽培を開始。イチゴ生産出荷組合の組合長として頭角を現し、雄勝町(現・湯沢市)の町会議員も務める地元の名士となった。

段ボール工場に勤めるも「このままで一生終わるのは嫌だな」と大学受験

菅氏も、長男としてイチゴ農家を継ぐことを親から期待されていた。しかし、周囲には中学校を卒業後に集団就職で上京した同級生が多かったこともあり、地元の高校を卒業後、1967年に上京した。 高校の紹介で、板橋区内の段ボール工場に住み込みで働くことになった。 「影の権力者 内閣官房長官菅義偉」(講談社+α文庫)は、「うずたかく積まれた古紙を相手にした作業は、紙の繊維が飛び散り粉塵まみれとなる肉体労働だった」と当時の苛酷な労働環境を推測している。 菅氏によると「東京に行けば何かいいことがある」と思って上京したのだが、待っていたのは厳しい現実だったという。インタビューで、当時のことを次のように振り返っている。 「それで高校に就職先を紹介してもらい、工場のようなところに就職しました。そこで初めて現実の厳しさを味わった。田舎から上京してきた人たちとしか会わないわけですよ。そこでいろいろな話をした。私は高校を卒業してきたのですが、中学を卒業して出てきた人がいました。彼らからいろんなことを聞いていて『このままで一生終わるのは嫌だな』と思うようになったんです。そこでもう一回人生をやり直してみようかなと、大学に入ろうと思いました」 (「官房長官 側近の政治学」朝日新聞出版より)

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