「死の瞬間」を待ち望むという葛藤<アメリカ>高橋邦典、25年を振り返って
昨年半ばに思うことあって、報道写真の世界から退くことになった。5年近くに渡って続けさせていただいたこの写真エッセイも、今回が最後。25年のキャリアの中、様々な国に足を運び、多くの人々と出会ってきた。最終回は、特に印象に残る経験をいくつか紹介したい。
メキシコ生まれのマリアナは、ビザを持たずにアメリカに渡った不法移民。夫からの虐待を逃れるため、3人の子供達を親族に託し、国境を越え、イリノイ州に辿り着いた。僕が彼女と初めて出会ったのは、病院のベッドの上だった。ようやく仕事が見つかった矢先に、子宮がんと診断された彼女は、不法滞在で保険を持たないため治療を受けられない。痛みが悪化し、やむなく闇業者でつくった偽造IDで入院するが、ガンはすでに末期の状態だった。死の前に、故郷に残してきた3人の子供達に会うため、マリアナは最後の旅にでた。 メキシコ中部の田舎町アパチンガン。典型的な農村に住むマリアナの家族は、スペイン語をほとんど解さない僕を、優しく家族の一員として迎え入れてくれた。ホテルなどない田舎町だ。家の中庭で、蚊帳で囲んだ簡易ベッドに寝泊まりし、子供達と遊びながら、ゆっくり流れる時を過ごす。同時に、僕の心の葛藤は大きくなっていった。それは僕が、マリアナの「死を待つ」存在でもあったからだ。数ヶ月間マリアナの撮影を続けてきた僕にとって、記事の終止符として、彼女の葬儀を撮ることは不可欠だった。彼女に死んでは欲しくはないし、子供達が悲しむ姿も見たくはない。それでも、カメラマンとして、彼女の死を待つ自分がいることも事実だった。家族の優しさに反比例するように、罪悪感のようなものが膨らんでいく。マリアナが苦痛に悶える姿にカメラが向けられなくなったことも何度も出てきた。 子供達から生きる力をもらったのだろう、マリアナは余命2週間という医者の予想を裏切って、1カ月以上生き続けた。僕は一旦シカゴに戻り、その後危篤の知らせを受けて、再びアパチンガンへと飛んだ。結局、数時間の差で彼女の死に目を逃すことになったが、結局それが良かったのか、悪かったのか、今となってはさして重要なことではない。 ※この記事は「フォトジャーナル<カメラマン人生25年を振り返って>- 高橋邦典 最終回」の一部を抜粋したものです。