3年ぶりのフルンボイル草原 再会したモンゴル犬は私のことを覚えていた
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。
2015年8月、私はフルンボイル草原を訪れるという長年の夢を果たした。フルンボイル草原は中国でも有数の豊かな草原で、私の地元よりも伝統的な遊牧文化がよりよく残っている。子供の時からの憧れの地だったが、なかなか行けなかった。だが中国版のSNS、WeChatでウジムジさんという女性と知り合い、彼女の家で滞在しながら撮影させてもらえることになり、取材が実現した。 彼女の家族はモンゴル民族の一部族であるバルグ部に属し、わずかながら伝統的な生活を残していた。一番驚いたことは、一度もレンガの家を造っていなかったということ。今でも移動式のゲルだけで生活している。私が訪れた時は夏営地に2軒のゲルを建てていた。ただ、2キロ離れた冬営地には、石積みの羊小屋などが造られていた。 2018年冬、義母が倒れたので緊急に帰国した。すると思ったよりも回復がよく、容態が安定してきたので、妻が看病し、私は取材に行くことができた。ちょうど、旧正月になったので、モンゴル族のブリヤート人の正月の取材に行くことにした。 その道中、ウジムジさん一家を再び訪ねることにした。 前回移動で利用したバスの故障がトラウマになったので、今度は乗合タクシーにした。シリンホトから出発する際は晴れていた。しかし、途中から吹雪になり、前方は真っ白でほぼ見えないぐらいになった。運転手がたくさんの荷物を無理矢理に積めこんだせいで車のバランスは悪く、ちょっとスピードを出すと滑ってしまう。 とうとう車が道から外れて横転しそうになり、運転手側は大きくへこんだ。だが、乗客は怪我なく済んだ。私は目的地に無事に着くことだけを心底願った。やっと深夜にハイラル市に到着し、簡単な食事をとってから、そのまま、また100キロ以上走って、ようやく深夜1時に目的地近くで泊まった。 次の日、ウジムジさんが迎えにきてくれた。前回は出かけていたウジムジさんの両親にやっと会えて、とても歓迎された。車から降りた際、2頭のモンゴル犬が近寄ってきて私の匂いを嗅ぎ、大人しく体を寄せてきた。私のことをまだ覚えていたのだと、臭覚と記憶力に驚いた。1頭は年をとって亡くなっていた。(つづく) ※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第9回」の一部を抜粋しました。
---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。