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「火ノ丸相撲」における刃皇はなぜ少年漫画界でもまれに見る名ラスボスだったのか

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ねとらぼ

類を見ない多面性と、それでいてブレない軸足

 ……と、ここまでがざっくり、最終戦に至るまでの作中刃皇関の流れです。実際の作品の迫力は、もちろんこの文章だけでは到底伝え切れない質量ですので、ぜひ実際に読んでみていただきたいところなのですが。  しんざきが考える刃皇というキャラクターのものすごさは、 ・キャラクター自体に多面性(ある意味ではキャラのブレ)が内包されている ・なのに全体としては完全に一貫しており、しかもラスボスとしての立ち位置は最後までビタイチブレていない ・ラスボスだけでなく、物語上のさまざまな役割を一人で担いまくっている ・最後の最後まで全く潔くなく、敗北を糧にさらに強くなることを決意している ――といった要素で表現することができます。  まず第一に、刃皇関ってものすごーーーく多面性があって、とにかくさまざまな側面を見せてくるキャラクターなんです。恐ろしく強くて、ときには粗暴で不真面目、ときにはわがままで気まぐれ、かつものすごく負けず嫌い。けれどときには気さくで緩くて、ほとんど面識もない相手の相談ごとに気楽に応じたりする。ときには横綱としての威厳を完全に発揮して、相手を教え、導く。  これが、ただ「性格上の多面性」だけでなく、「物語上の役割の多面性」でもある、というのが1つ目の重要なポイントです。  例えば、九月場所2日目での刃皇の立ち合いは、完全に「主人公を教え導く師匠ポジション」のそれです。  無道に堕ちかけていた火ノ丸に対し、不安と疎外感に襲われていたレイナの言葉を聞き届け、刃皇は「鬼退治といこうか」と決意します。そして、激しい相撲の中、火ノ丸の強さや意気を認めつつも、はっきりと「そのやり方は間違っている」と理解させ、正面から火ノ丸を打ち破る。ここでの刃皇の立ち位置は、疑いなく「師匠」兼「対戦相手を救済する主人公」ポジションです。  この一戦は、確かに火ノ丸にとって、「自分が本当に行くべき道」を示すための極めて重要なターニングポイントになりました。  相撲という競技の特徴として、最終戦となる千秋楽・および優勝決定戦の前にも、刃皇はさまざまなキャラクターの前に立ちふさがります。ここではいわば刃皇は「物語上の中ボス」として動作しており、ときには圧倒的な力を見せつけ、ときには火ノ丸のライバルたちの成長に驚きます。刃皇に土をつけたのが、火ノ丸の兄弟子である冴ノ山と、火ノ丸の最大最強のライバルだった草薙の2人だったというのも大変に熱い。  一方で、刃皇はゆるっゆるにコミカルな側面も、とんでもなくわがままな側面も全く隠しません。そもそも引退宣言にしてからが、本人には真剣な思いがあったとしても、「お前らは歴代2位争いでもしてればいいよ! バーカ」という、とても横綱の発言とは思えない傍若無人な発言です。けいこ中、大包平に「飲み過ぎです」と指摘されれば「あぁ? うるせえバーカ」と反発し、場中でも「憐憫の相」や「恍惚の相」といった数々の顔芸を繰り出します。  火ノ丸とレイナの(ある意味)キューピッド役を務めたことも特筆するべきでしょう。駿海師匠の見舞いに来た彼が、たまたま出会った火ノ丸・レイナと卓を囲んだのは上述の通りですが、その時の表情も「Wデートとしゃれこもうではないか!」というゆるゆるっぷり。まあ実際には刃皇の奥さんの存在が大きかったんですが、これを契機に火ノ丸とレイナの仲が一気に進展したことは間違いありません。  これ、物語の役割の話から言うと、 ・主人公やライバルたちの覚醒・パワーアップのきっかけ作り ・主人公に対する直接的な教導 ・主人公の恋愛進展のトリガー ・顔芸を始めとしたコメディーリリーフ ・最終決戦に至る戦いを熱くするための中ボス戦 ・ラスボス ――を、全て一人でやっちゃってるようなもんですよ。ちょっと物語上の存在感が全部盛り過ぎじゃありませんか?  これだけ盛りだくさんの役割を作中で全く破綻なくこなしてしまう「ラスボス」って、いろんな漫画を見渡してもちょっとなかなか類を見ないんじゃないでしょうか。  いや、もちろん、九月場所の中途中途では他にも熱い戦いは山ほどありましたし、他キャラも十分活躍してはいるんですが、それでも刃皇関があまりにもマルチタスクな活躍をしてしまっているがために、高校時代のきら星のごときライバルたちの存在感が、多少なりと食われてしまっていることは正直否定出来ないでしょう。  刃皇が非常に多面的な人物であり、かつその多面性を武器にすらしているというのは、童子切や大包平も立ち合いを通して指摘しているところですが、その最たる側面が「刃皇裁判」。刃皇が考え事をしたり、対戦相手の内面と語り合うときの描写なんですが、複数の刃皇が心象世界で話し合いをしつつ、ときには相手を「被告」として実際に言葉を交わしたりと、正直やりたい放題です(映画館の席にたくさんの刃皇が座っている「刃皇シアター」というバージョンもあり)。  しかし、これだけの多面性を見せ、これだけさまざまな役割を担った上でも、刃皇というキャラクターそれ自体、及びラスボスとしての軸足は本当にただの1ミリもブレていないのです。  ここが本当にすごい。  これはなぜかというと、刃皇関の根幹がどんな瞬間も「相撲に対する愛」であり、あらゆる挙動の根底にそれがあるから。彼、相撲に対するスタンスだけは最初から最後まで「愛」の一言であって、そこに関する限り本当にどこにも矛盾がないんですよ。一切ブレない。  自分の愛の深さを絶対に疑わず、対戦相手にも自分自身にも徹底して「相撲への愛」を求める。だからこそ強いし、だからこそ壁としてぶ厚い。「本当に相撲を愛しているなら相撲で幸せになれい!!」は、大相撲編全体を通しても屈指の名言だと思います。  そして、数々の熱戦を経て、物語は刃皇と火ノ丸の最終戦に至るわけです。

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