「子供はとっくに消えた。増えたのは害獣」それでも限界集落が消滅しない理由とは
大豊町の魅力を伝える「おおとよ探検隊」
関係人口とは、移住者でもなく観光客でもない、地域の人々と関わりを持つ人たち。大豊町と連携し地域の魅力を伝えることを目的に活動する高知県立大学「おおとよ探検隊」のメンバーたちもその一員だ。 「立川やすらぎ茶屋」という店を開き、クッキー販売を行う現地活動や立川地区の日々の様子をSNSで発信している。 「地域の方々が私たちの活動を温かく受け入れてくださり、一緒に地域を元気にしていこうという雰囲気が心地いいです」と、「おおとよ探検隊」副代表で大豊町出身の久保彩音さんは感謝を口にした。 地域活性化を望む人たち同士の良好な関係こそが、限界集落が消えない一因だろう。
住民との価値観の相違が移住者トラブルの要因に
翌日に訪れたのは大豊町よりさらに奥地にある大川村だ。人口推計362人。1972年に白滝鉱山が閉鎖、翌年に早明浦ダムが完成したことで人口が流出。全体の高齢化率は41.99%とはいえ複数の限界集落を抱える。同村で暮らす柳生明良さん(34歳)は、これが2度目の移住。最初の移住地である限界集落の別子山ではトラブルに悩まされた。 愛媛県では新居浜市別子山の地域おこし協力隊に’21年12月から13か月在籍。自身のYouTube「小さな村で暮らす」で移住に失敗したことを伝える動画を’22年12月に公開し議論を呼んだ。10か月がたった今、再生回数は約500万回に及ぶ。妻とともに田舎暮らしを夢見て東京から移住するも、なぜ地域住民との間に溝ができてしまったのか。 もともと東京で小学校の教員をしていた柳生さん。「いずれは起業したい」という思いから、地域貢献の活動を行いながら補助金などサポートが受けられる「地域おこし協力隊」という総務省の制度を利用することにした。 「別子山を選んだのは、与えられたことをこなすミッション型ではなく、8割は自分でテーマを決めて活動できるフリーミッション型だったから。空き家を改修しながらその様子を動画で発信してSNSで土台を固めつつ、残り2割は『地域のため』に時間を充てることが決められていました」 柳生さんがそう語るが、住民との間で「地域のため」の認識にズレが生じ、人間関係が崩れ始める。「嫌がらせがあった」と主張する柳生さんに対し、新居浜市役所担当者は「地域の人たちは(嫌がらせを)していないと言っている」と意見は食い違う。