10代女性の国内初「内密出産」。慈恵病院の決断は“望まない妊娠”の受け皿となるか
2022年1月、10代女性が熊本の慈恵病院で「内密出産」をしたというニュースが話題になった。新型コロナウイルス流行によって増加した“望まない妊娠”と、国内初となる内密出産制度について、文筆家・僕のマリ氏が考える。 【画像】娘の生理はチェックし過ぎない『娘に伝えたい性の話』
コロナ禍で会えなかった、1歳の姪との初対面
正月に帰省して姪と初めて会った。 生まれる前からずっと会いたかった。コロナ禍での出産かつ、遠方に住んでいる兄夫婦とはずっと会えていなかったので、お互いの近況を話し合った。ご時世柄、人と触れ合う機会が少なかったので、1歳の姪は知らない人に会うとびっくりして泣いてしまう。わたしと、彼女にとっての祖父母が出迎えたときも、一瞬で口を曲げて大泣きしていた。 時間が経つと慣れて、くっついたり一緒に遊んだりした。笑っていても泣いていても、その姿はかわいらしく和む。絹のような髪をさらさら撫でて、水分の多い瞳に自分を映す。まだ言葉は話せないが意思が強く、「いないいないばあ」を見せてとねだってきたり、階段を上り下りしたいと何度も廊下に出たりしていた。皆が目尻を下げ、姪のダンスや階段を踏みしめる足を眺めていた。 3日間一緒にいただけで、離れるのがとても寂しい。帰省中に撮った姪の写真や動画を、飽きることなく眺めている。 もうひとりの兄の子供も女の子で、昨年末に会いに行った。彼らはずっと子供を望んでいただけに、生まれてきてうれしいと言っていた。
「男の子/女の子らしく」という呪いと、それに伴う危険
すくすくと育っている姪たちの成長がうれしい反面、女の子だとつい心配してしまう。自分が経験してきた不条理やつらい出来事を思い返しては、彼女たちには同じ苦しみを味わってほしくないと思う。 女が嫌だとか、男のほうが楽だとか、そんなふうには思わない。どちらにもつらい側面があり、「こういうものだから」と担われた役割があって、そんな呪いに縛られてきた。 わたしが子供のころはまだまだ「男の子/女の子らしく」という考えが世に根づいていたから、周囲の期待に外れた選択をするのが怖かった。 女の子らしくしていたら、それはそれで痴漢や不審者に狙われたりと、危険を伴う。もう何が正解なのかわからなかった。セクハラやパワハラに遭うのは自分が悪い、そう思うと若い女性でいるのがつらかった。 だから、この数年でフェミニズムについて考える人が増えたり、女性の権利や生き方に視線が注がれたりしているのが本当にうれしい。これがもう少し前だったら、と思わないこともないが、少しでも自分らしく生きられる世の中になればいいと感じる。 そのためには、あらゆる弱者の声を拾い、助けを乞う人々の受け皿を用意する社会が必要だ。